『映画のこと?』

◇屍者の帝国

原作未読。ワトソンが求めたフライデーの魂とはその言葉の続き。両想いだったんでしょうね。
21グラムの魂の在り方とか、ロボットが心を持てるか、とか、その辺の題材好きですよ。理解できてないけど(…)

魂があるから言葉が生まれる。言葉のうしろに潜む魂。この辺はちょっと曖昧になってきました。魂をどこに求めたんだっけな。ハダリーがロボットらしからぬけしからんボディだったり、まあファンタジーな感じでありがとうございますの谷間ロックオン。
ワトソンの想いを知って敢えて欲しい言葉を言わず、それによりワトソンが今後とる道を予想していそうなフライデーさんの方がいい感じに面倒臭く歪んでそうですね。

見終わっての第一印象が「ジェイルクいけるわこれ」でした。ルークはいなくなるからこそ、続きを言わなかったし、言わんとする言葉を確信しているからこそ、続きをルーク自身から、ルークの声と意思で聞きたいジェイドがいるとする。あらすじという名の日記を書き続けていたルークですから、それを基に、ルークが紡いだ言葉を器に取り込み、レプリカルークのレプリカに魂を喚起させようとするジェイドがいる未来もあったかもしれない。ネビリム先生の時は記憶の形成材料が足りてないだけで、今回は…とかで成功してもそうまでして会いたかったルークとは違う別の新たな思考のルークになり、それにまでまた同じ想いを繰り返す初恋こじらせた35歳。

アビスにつながるところも結構ありますよ。屍者が街を闊歩するとか、労働力として活用しているやらかしている感とレプリカが被ります。
死んだ人間にあいたい人も、大切な人が死ぬ代わりに死者を使ってくれとい人も、それぞれ死に関わる誰かがいるからこそ思うわけですよね。自分以外の。賛同はしませんが、その考え方自体生まれるのは仕方ないとは思います。

最後のホームズたちが何なのか理解出来なかったので原作読んでみたいと思える作品でした。まったくもって映画の感想じゃない。