鶏皮とビール!


夢の中に出てくる人は「明確にわかる人」と、「分からないけど知っている感じのする人」がある。明確な人はそれを思い出す引き金を日常に探すことができるけど、「感じの人」はどこで得た情報なのか分からないから煮え切らない。夢の中では明確に名前を呼んでるのに全く思い出せないのね。

他にも、時折夢の中と日常生活があまりにも似過ぎて夢か現実のことだったか分からないって時もありますね。夜、ふらっと家の下の自販機に飲み物買いに行ったはずなのにそれが無かったり(しかも玄関口で寝こけてた)、電話内容しっかり覚えてるのに実際には電話していなかったり。逆にしっかり会話してるらしいが、自分では話した記憶が曖昧だったり完全に忘れてたり。もはや夢遊病に近いな。

明かりをつけたまま。テレビをつけたままラジオを同文。多分そこから入ってくる情報がなんらかの影響を与えているとは考えていますが、そうやって何度も目がさめる生活で寝たり起きたりを繰り返していると境目がわからない時があってゾッとする。

それと同時に、あまりにも明確に「知らない光景」が出て来た時は自分ではない誰かの記憶のようにも思える。自分の姿を他の人の視点で見ているようなこともある。

これってTOAのEDの人の感覚をわずかに味わえるのかな?って。

「ぼくの地球を守って」でアリスが「前世と今の記憶が入り混じってどちらが現実かわからなくなる」と言っていのも上げると、あまりにも鮮明なもの同士がぶつかり合うとそうなるんだろうなぁとしみじみ考え込んでしまいます。自分と同じだったけど別個体の持っていた記憶を取り込むのだから、自分の会話ではないものや、見たことのない景色を思い浮かべる時が来る。
記憶自体はいくらでも捏造できるし、明確な記録として残っているもの以外は確証の取れるものはない。自分が言ったのか、誰かが言ったのを聞いたのか、大多数の記憶を集めた多数決って心もとないものもありますね。それも100%正確とは言えない。古来よりパピルスなり紙に起こされたものが最上級の記録媒体となり、記憶なんて脳の神経と電気信号が作る虚構映像なだけ。狂わせることなんて簡単にできるし。記憶というものは記録の上では信ぴょう性の下位。でもそれがないと人として成り立たないの凄いなあって時々考えてしまいます。
夏休みだからかな。

ルークの記憶、として区別できるならいいけど、実際自分の頭の中に浮上するのが別の人の記憶だと気持ち悪いと思う。いつかそれが混じり合うのなら良いに越したことはない。でもその気持ち悪さを彼は感じている時があるのだと思うと、しんどいよねあのED。