地球交響楽

映画ドラえもんのび太の
地球交響楽。
音楽なのもあって、おんぷくん眼鏡の出動です。


みんなで音楽を奏でるって題材だけでも心が踊ります。そして相変わらず地球は知らないうちに危機に瀕しているドラえもんの世界は。

個人的にはこの映画見てパイフロネタをweb再録しようと思い至りました。いや、いつかやろうやろうと思っていたけど、今回いい引き金になりました。
ドラえもんの感想の方はもう少ししたら書き残すかもしれないけど。
だいたいあんな感じです。
根本的にはオーケストラの少女っぽい感じで、ザバダックの遠い音楽。
やりたい楽団がないのなら自分で作れば良いんじゃないっていう脳筋ではありましたが、世界が奏でる命の音楽ってところ、これがやりたいってのが詰まっていて、その意味でもいい刺激になりました。何億年ぶりかにパイフロのネタまとめ見返して、色々頑張って考えているなぁと他人事のように思います。

FREEDOM

で、昨日7回目のロマンティクス。
色々仕事でイレギュラーなことがあって、乗り切ったご褒美。まあ、自分は采配にそって動くだけの仕事でしたけど。
特典のボールペンもらいまいた。

ということで、まとまってはいませんが、今の所の所感をつらつらと書き残しておきます。


回を増すごとに、ふっきれたキララクの好きですがなにか?攻撃えげつないなって思う。
イングリットがどうしてオルフェを好きにならないの?って問いかけに、一ミリもその気持がなく、その時すらキラのことしか考えていない「はい?」って返答の結構声色冷たくて、面白い女になっているの凄く良いな。あれ、本能的なのか、アコードとしての能力か、イングリットの気持ちに気づいているんだろうし。


何回見てもオルフェ、イングリットの気持に気付けって思ってます。思考が読み取れるアコードのなかで、イングリットの気持は読み取られないようにってずっと気を張っていたのかなって。もともとの設定ではイングリットはオルフェの恋人だったらしいし。最後のあの瞬間に、ちゃんと二人の仲だけでもその思いを伝えたのかなって考える。その辺小説で触れられるか、どうか。

世界はあなたのもの、あなたは世界のもの。
その言葉がこんな形になるとは。
あれ、誰もが世界を作るものであり、どんな人種でも等しく世界を構成する存在って意味だと思っていまいた。だから特別な存在であることを嘆かないでほしいってことだと。
まあ、人様の感想でそんなこと言っていたなーって思い出しましたが、そのセリフはここまで構想があってのことだったのか、それとも後にそこにつながる物語を作ったのか、分からないけど、いままでラクスに感じていた違和感?アイドル性に納得の行く答えでした。


アスランのキラの殴り合いは、最初こそアスランよくやった!って気持にもなりましたが、そもそもそれすら言えない状況まで精神疲弊していたかと思うと、シンの態勢になってきました。心理的に。あの場面、というか、ずっとシンがいてくれて本当に良かったとおもうことばかりで、シンが癒やし。
もちろんアスランも忙しかっただろうからそれだけど、なんか腑に落ちなくなってきた。何度も見ることによる弊害かもしれない笑。いや、昔から、アスランの事好きだけど、色々複雑な思いがあったのでその頃のアレそれが出てきているってのもあるんですけど。実際にいたらぶん殴りたくなると思いますアスラン。返り討ちに合うけど。でも、キラをただまっすぐぶん殴れるのもアスランなんだよなーってところで、こう、ありがとうクソ野郎好きだって感じですかね。よくわからなくなる。それでいて、最終的にすっきりするのがアスランマジック。


ここまでキララクの二人を祝福しつつ、ブロマンスではイザークとキラ、と、アスキラ好きで、自由ではシンとキラの組み合わせの可愛さと美しさにぶん殴られている。可愛さの暴力。
大好きセリフの一つに「ヤマト隊のシン・アスカ」があります。


愛されるより 愛したい。
自由まで来て、色々な発信媒体で情報は拾いきれないけど、ラクス→キラは一目惚れの域で、それを猛進しているし、キラを絶対に離さないっていう思いの強さ過ぎて、私の好きな愛したいクソデカ感情の人だったとわかり、好きになる運命じゃんって思いました。今までラクス→キラしか妄想できなかったんですよ。キラ→ラクスは前回の雑記と重複すると思いますが、妄想捏造だとおもっていた。
ただ。二人が二人共、強くいなければいけないって気持を持つ中で、涙を流すことを許せる場所として、お互いの存在のそばってのがあるのが、また、こう、凄いですよね。
なので、今回楼閣でオルフェと話している時少し涙を浮かべたラクスのところはいつも「あーーー」ってなったけど、涙を流し許す場所にはしていないし、結局それを押し留め、オルフェにキラと似た感覚を覚えるからっていうところが、そうさせたってところで、結局キラの存在があるっていうところに、謎の腕組をしながら見ています。
キラは初めてふたりきりになった、あの時泣いていた。涙を見られた相手であるラクス。その事実がどこか心を許せる場所であったのかもしれない。まあ、最終的にみんなの前で涙は流したけど、ラクスのことを思って泣いているし。正直もうあそこ、限界突破しまくって、涙が流れることに安心したりもしましたが。
「ラクスに会いたい」
本当にささやかな、それでいて、凄く小さな世界なんです。好きな子には笑って欲しい。喜ぶものをプレゼントしたい。それは今までもあったと思います。初めての手料理とか、ブルーとか。
いや、親友からもらったロボットと同じものを贈るのどういう感情?とか思っていますけど、なんかもう、全てが最終的にロマンティクスしたからいいやーってなっちゃいます。


必要だからあなたを助けに来た。
もちろんそれだけではないけど、アスランもそれと同じことを言ってしまっているので、この観点は戦争を止める上では必要不可欠ではあるのは致し方なし。でもあの作戦において、キラだけがラクスを救いに行くのは、ただキラ自身が会いたいからていう、こう、そんな、今までそれをしたくても戦争を終わらせるためと仕事を優先したのに、今この段階で、物凄い私情のもと助けに行っているのが大大大好き。
この時100%ラクスだけのことを思って動けるの、キラだけっていうのが興奮します。
名目上戦争を止めるってことだけど、その根本に、その願いを叶えておいでって協力してくれたあのクルーの世界平和とパワー熱すぎて、
でも結局、それも二人が青春のアレソレの時期を引き換えにしても、ただ戦争の集結として表舞台に立ち必死で立ち続けた姿があるからですしね。
総裁という立場と、正規の軍人でもないのに、最前線で


「君らが弱いから」
初めてこのセリフを聞いた時、何いってんだこの野郎って気持と、キラ節を浴びてスタベしそうになった。お前そんなこと思ってたんかーいっていうのと、実際強いし、そもそもそういうふうに作られたって責任がずっと
守らなきゃっていう脅迫概念とずっといたのも、考えるとしんどすぎて、そんな状況想像するとそりゃあれだけ疲弊するよなって思いますよ。
それでいて、実際白兵戦ではアスランには手も足も出ないのが、そのセリフと現実と、それでも「自分がやらなきゃ駄目」「嫌だけど必死で」って言葉。
無印の小説の描写で、多分フラガさんかバルトフェルドさんがキラを見た時に、状況を憂う姿に「自己憐憫」という描写を使っていた記憶があります。手元にないので定かではありませんが、あの時そういう状態を憐憫と表現するのに凄く納得していたし、それ故、抵抗感も感じて、シンデレラ思考とかヒロイン思考の可哀想な自分、という思考に自体に抵抗を感じている頃もありました。
でも、改めてここでの、必死でやってるのって台詞、自己申告するのかーってのではなく、それだけやれることは実際にやってるのに、どうしてって思い続けているのに、それでもデスティニープランを否定したから、それがなくても人は平和を作ることが出来るって証明しなくてはいけいない、という責任と向き合い続けているから、そりゃ言ってもいいよって思う。
ぶっちゃけ、アスランにコノヤロウって思うのは、責任を負う決定打をうっていない人間が、ああ言っているからなのかな。
シンの「やめろアスラン、隊長は」の続きの言葉がなんだったのか凄く気になるけど、隊長の、一緒に戦おうって気持に感動したのもあるし、そうやって尽くせる限り人命を奪わず、生きる選択肢、考える選択肢を残し、それがもしかしたらまた戦場に戻ってくるかもしれないけど、それを何度でも止め続けようとする姿を、シンは見ているんだろう。不殺の戦術を取っているのは、その意見に賛同したからだろうけど、それって終りが見えないなっていつも思う。生きている限りその人の可能性が増える。戦場に出てきた兵士は、それなりの覚悟をもって望んでいるだろうけど、それでも生きていれば、花を育てる手に変わるかもしれない。そう願いながら、ずっと戦っていたんだろうなって。
ぶっちゃけ、アスランは殺そうと思った相手はしっかり殺すタイプの軍人と思っているので、そこんところは覚悟を決めた者同士の解決策を取っていると思う。でも、シンは夢物語でも、その手を守ることを選んだキラの強さを知っているから、なおのことそれを否定するアスランにこの野郎って思うのかもしれない。



複雑なことを考えていると、そんなことをはいいからロマンティクスしろーって気になってきたので、一旦ここでくぎります。
いつか感想をまとめたい、とは思っている。

SEEDFREEDOM

2月28日、5回目のロマンティクスの時。
FREEDOMの曲入りと、疲弊してゼーハーしているキラに大変興奮いたします。

マフィア梶田さんの感想動画でいってましたが、キラとラクスの邸宅の身の丈に会わない邸宅、あそこでほぼ過ごせていないの切ないね。
豪華なプールとか、ゴツくお高そうなバイクとか、ガラス張りの金かかった仕様なのに、たしかに生活をしっかりできている感じがしない。キラの生活圏って、あの机周りだけっぽいし。プールちゃんと使ったんか?って疑問に思う。ラクスと二人でバイク乗っている写真があって、そこで一応二人の時間あったみたいだけど、アレ誰が写真撮影した?ハロ?それともアスラン?

二人の間に恋人同士の匂いがしないのに、熟年夫婦のぶち当たるような仕事で帰ることができないすれ違いみたいな、ちぐはぐな雰囲気が心締め付ける。

梶田さんも行っていましたが、確かに運命までのキラだったら好きになれない人はほんっと好きになれないと思う。感情移入ができなくて、何を考えているかわからない。悟りすら開いているようで、お前一人なにしてんの?って思う。
それが今回の映画で、人間的な苦悩が描かれたことにより、ようやくキラのこと好きになれたって言う感想もよく見る。そういったものを見かけるたびにいいね!って反応したくなる。

キララクの幸せを願い、キラ受好きでいたいけど、キラとラクスがほわほわしてお互いの好きあっているのも、妄想捏造なんだろうなって思っていたし。

いつぞやのガンダムカフェで、仕事が忙しいラクスのために料理をしたいっていうキラのエピソードだけで狂うほどだった。キラがラクスのことを思っているっていうだけで、こうも荒ぶるのだから、ホント、今回の映画脳が焼かれる。焼かれ続けている。

応援上映

3月になったよーというには遅すぎる今日このごろ。
目下、うたプリのライビュに吸い込まれるであろうプリンセスの姿を観測しながら、マックで記憶の整理を行っています。推しがわかりやすい装備はみると健康に良い。


さて。
担当ごとも終わり(担当ごとの終わりは、新たな担当ごとの始まりだが)、前の雑記からの間もアレコレしていましたが、一ヶ月以上SEEDに狂わされ続けている感じがずっとあります。


最近あった色々なこと。


3月3日、ディランディ誕ひな祭りにガンダムSEEDFREEDOM応援上映行ってきました。

あるの知ったの上映10前だったし、ちょうどよい時間だったのもあり、家に帰ると悶々と悩むなーってのが嫌で、行きました。
めちゃくちゃ、楽しかった。

応援上映はうたプリとか、ある程度コーレスがあるものしか行ったこと無い身でした。コナンとか鬼滅とか、ゲ謎も。昨今の上映ではわりとあるみたいですけど、そういったストーリーを見るタイプの映画って、何をどう応援するんだ?って疑問しかなかったので、まあそこは体験してみようそうしよう精神。

あと、直前に読んでいた書籍で、意向を極めようとするのととにかく行動するのでは、行動が結果を生み出す、と書いてあり。卓上で良いものを作るには?と考え続けるより、作ったりなんだりしてあれこれ行動をする方が結果につながる。

ってのがありまして。どんなものなのだろうと考え続けるより、行ってみればいいじゃない。

結果、楽しかった。
ある意味LIVEだと思ったのは、コーレスがわかりやすい。主題歌入るところはしっかりライブだし、料理に「おいしそう!」とか帰らないキラに「家に帰って」とか。
はい。最初は見るだけでいたんですけど、家に帰れは言っちゃいました。

あとは活躍シーンでは拍手喝采。
ロマンティクスシーンも拍手。
ズゴックアスランやとにかく、アスランにぶち上がり、シンは俺達が育てたといわんばかりの頑張れコール。
ノイマンさんの操舵技術にも拍手喝采でした。
ミーティアとロマンティクスはライブ会場ですね。
終わって拍手喝采でした。
ありがとう!って言えるの嬉しいね。


上映が終わって、ニュータイプ現象のように友人の気配を察知し、入り口付近で発見しました。行くって行ってた気もするけど、そういう諸々より、謎の、ここにいるなって感覚。シンがキラのピンチに感じ取ったアレって、ああいう仕組み?しかも示し合わせたわけではないけど、同じ列の、ほぼ隣状態です。通路挟んですぐそこにいたわ。

以前うたプリのときも、別の友人と示し合わせたわけではないけど、満席状態で隣同士になったことがありましたが、ああいう時の「いまいかねば」は何かしらの引力があるんでしょうね。

そんな応援上映でした。
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柚子沢さんのプロフィール
性 別 女性
地 域 福岡県
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