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特別は差別ではない。


よかったら、私の考えを聞いてください。
最近、ずっと考えていました。


「ひとり」についてです。


私たちは、誰かと一緒にいて、話しをする時、本当に本当は何も考えられていないと思うんです。でもこれは、きっと語弊のある言い方です。


私たちは人の話を理解することもできる。
共感することもできる。
吸収することもできるし、愉しむことができる。


だけど、考えを生み出すことは、誰かと一緒には、できないんですよ。誰も。


「考え」というものは、そもそも自分の中だけのものです。どんなに頑張っても、誰かと一緒に考えるというのは、本質的に不可能なんです。


これは、もしかすると心ない考えかもしれません。だけど、とても大切なことのような気がするんです。


何かを考えている時、回りに人が何人いようと、どれだけ仲良しだろうと、その瞬間、私たちは「ひとり」になるんです。


私は、考えるということは、自分自身を深めていくことだと思っています。だけど、考えるためには、その「ひとり」に耐えないといけないんです。


「ひとり」というのは、基本的に孤独です。孤独なのはやっぱり寂しいですから、誰かに頼りたくなってしまいます。だけど、考えたかったら、考えることで自分を深めたかったら、その孤独に打ち勝たなきゃならないんです。大袈裟な言い方かもしれませんが、多分本当のことです。


別に、誰かと一緒にいてはいけないとも思いません。誰かといることで得られることも、本当に沢山あります。だけど、そこに甘えてしまうと、自分の考えが薄くなってしまうことがあります。私は、それが嫌です。


だからこそ私は今、誰かがいても、考える瞬間「ひとり」になることができる精神力がほしいと思ったんです。


人間誰しも弱いところはあるけれど、やっぱり考えることって、どこか愉しくもあって、譲りたくないからつい、意地になっちゃうんですよね、私は。


ただやっぱり、考え過ぎて思い詰めたり、悩みになってしまう時は、誰かに助けてもらうのが、1番の解決策なんだと思います。それも同時に理解しておこうと、自分に言い聞かせている、今現在。


話はこれで終わりです。
読んでくれて、ありますございます。
やっと自分の言葉で言えました。
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