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である調。


僕は一度、学校を休んだ。親戚が死んだからだ。ただその親戚との血縁は大分離れていて、公欠をもらうことはできなかった。でも故人との思い出と血縁はなんら関係のないことで、例えば全然知らない3親等よりも、高校時代仲良かった友人の葬式の方が、断然参列したいと思うと思うのだ。そんなわけで僕は、学校を欠席してその親戚の葬式に行った。

そしてそのとき、葬式へ行くことを止めた先生は誰もいなかった。
理由は大体分かる。その人と二度と会えないからだ。 
その時を逃したら二度と味わうことの出来ない経験。 

そんなこと、案外沢山あるような気がして僕は今ここにこれを書いている。

葬式だからそれっぽく見えるだけでさ。
それが別に遊びでも旅行でも誰かに会うにしても、その時を逃したらもう二度とは味わえない経験。その為になら僕は学校だって仕事だってバイトだって休んでいいと思う。休んでいいと言ってくれる社会であって欲しいと思う。だからせめて僕は、自分から休んで、周りににも休んでいいよっていえる大人になろうと思った。

なんで文章が「である調」なのかは、僕にも分からないけれど。
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