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これだよ、言いたかったのは。

自分以外の全員が、自分よりも幸せに見える。


自分以外の全員が、自分よりも頑張っているように思える。


自分よりも優秀に見える。


自分よりも経験していると思う。


自分よりも優しいと思う。


自分よりも信頼されてると思う。


自分よりも素敵だと思う。


自分よりも…。





自分なんか。





自分なんて。












いつか、こんな自分を逆説的に捉えられるように。





善人ですら天国へ行けるのだから、悪人は当然天国へ行ける。


親鸞の言葉。

もっと自分と向き合う必要があるようです。


何も考えられなくなったと思ってたら、いつの間にか、



考えることを考えていました。




そして無意識のうちに、様々な情報が私の中で集められていました。



その情報はいつしかプロファイルされ、

今、現時点での結論が出ようとしています。





が、






今の心理状態で結論を出してしまうのは、いささか客観性に欠けるものがありますね。



だからもう少し、考えてみます。


よかったら、考えてもらえない?

考えるについて。

恐縮です。


とんだ失礼なことかも知れないと思いつつあえて書いておこうと思うんですが、


年に数回だけだけど、本気で女性になりたいと思う時があります。


別にそっちの気があるわけじゃないんですが、本当に、自分が女だったらよかったのにと考えてしまいます。


そして今がそれ。


自分の持っている男らしさとか、男性特有の考え方なんかが、邪魔で仕方ないんですよ。





…と書いて早2週間。



その気持ち、分かるぞ、2週間前の俺。




なんで男に生まれたんだろうなんて考えても仕方ないこと。

性善説を主張する私は、それに準ずるように初めから決まっていたことは悪いことではないはずだという考えがあり、

ついでに言っとくと性別はどっちがいいとか悪いとかの問題じゃないですから。









そっか。




だから考えが消えることはないんですね。






あー、なんか、自分で読んでもここ最近のこのブログはつまんないですねぇ。

それでも読んでくれて、ホント、恐縮です。

次はやっぱり、ボディバターか。


お風呂で、数を数える。


最近見つけた、私の癖。


常習性はないけれど、気づけばやっていることがあります。



あと数ヶ月で22歳になるというのに、お風呂から出るまでの100までの数字を汗をかきながら必死に数えます。



別に守らなくてもいいのに、一度数え出したら100まで数えないと気が済まないあの強迫観念。


それが未だに抜けません。




そして何より気を使うのが、


お風呂をあがるタイミング。



100を言ってからあがるべきか、


100を言いながらあがるべきか、




うーん、






難しい。

笑いよりも、微笑みを。


ほぼ日手帳の前に立つと、別に嫌ということもなく、面倒なこともなく、つい何かを書きたくなってしまいます。

私は、きっとこれはいい傾向だなと思って喜んでいるんです。



それでも最近は、なんだか手帳の前に立つことすら、億劫になっています。



振り返りたくない過去じゃないけど、




振り返りたくない理由は、後悔とかより、空虚さにあると思います。





振り返れることがあるだけ、幸せです。




読んでくれて、ありがとうございます。
自分でも何を考えてるか、わからないんです。
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