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自分に自分という1本の軸があったとする。

これが自分の軸なんだっていう確信があって、自分でその軸の色も形も大きさも知ってるとしても、

軸が1本では、やっぱり不安定です。


せめてもう1本、軸があれば、

たとえ2本の軸しかなくても点と点の間には線という無限の点が生まれる。


別に中点である必要はないよ。


だってその軸は、その人のその時々の立場で、色も形も大きさも変わるから。


そして、ひとつだけ、軸の中にある芯だけは、変わらないよ。


ちょっと隠れて見えにくいけど、お互いがお互いの芯の存在に気づけば、

どこの点を取ることになっても、きっと軸は倒れません。


ほら、またひとつ、新しい考えがうまれました。

結論は誰にでも理解できるものでなければならないのです。だから理解してもらえるように結論にいたる説明する必要があるのです。ついでの言うと結論とはそれが正しい時点で普遍的なものであり、よってその過程である説明の中にしか個性は存在しないのです。多分。


前のブログは、ずいぶんと要所を省いた表現でした。
なにせここでは思いつきを書くこともザラですから、まぁ自分としてはアリなんですけど。


生きる場所を探すことは、死に場所を探すことです。


どういう風に生きたいかを考えることは、どういう風に死にたいかの答えに繋がってます。


だから、この場所では死にたくないなと思う場所では、本当は生きるべきではないのです。


ただそれだけの話。




それを探すのが、ある意味人生そのものであるとも、僕は思います。


だって、生き方は、単に場所だけの問題ではないでしょ??


広く考えれば、の話です。 



結局は、

自分の納得のいく人生を生きるまでは、誰だって死にたくないはずなんです。



ああ、簡潔にものを言い過ぎるのもつまらないですね。



でも、なんか話がズレますけど、


…いや、言いたいことあったけど、やっぱり話がズレるのは嫌なんでやめときます。 


あとはまぁ、察してください。

ここでは死にたくない。


名古屋では、死にたくないです。


なんとなく、そんなことを思った。


どうせ死ぬなら、今はやっぱり、福島がいいです。


そんなことを考えていました。


それはつまり、きっと、福島で生きたいと思ってるってこと。



そうか、

死にたくないということは、生きたくないと同義なのか。


なるほど。

前向きと諦め


これは、少し前に、少しだけ考えたことです。

まだ、自分の中ではきちんと消化できていません。

でも、ある人が見れば、こんなこと当たり前のようにも映ると思うのです。


「前向き」と「諦め」


この2つは、対極にあるようで、実は連動している気がします。

まるでクラリネットのF♯/C♯キィとLow F/Cキィのように。


…つまり、

前向きになれたから、諦められる。

諦めたら、前向きになれた。

こんな感じです。
文章にした方が、なんとなくしっくりくるでしょ??

でもこれは、前向きになることも、諦めることも、どっちも、どちらかというとネガティブな方の意味でとらえた結果です。

「前向き」がネガティブなんて、変でしょ?

僕もそう思います。


この前、僕のことをネガティブと言った人がいました。

僕は今まで、自分がネガティブだなんて、思ってもみませんでした。


一見するとポジティブのように思える想いも、実はネガティブだったりする。

そんなことに、今更気づかされました。


んで、なにが言いたいかって、

「諦める」ことが、ポジティブにもなるってこと。 


はい、これで、いつもそう、振り出しに戻る。
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7月4日


ゆずのライヴに行ってきてしまった。

大きいライヴは初めてで、

アリーナなんてもちろん初で、


いやー、盛り上がったー。 

楽しかったーー。


盛藤の余韻ライヴはまだまだ続きます…。
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