結論は誰にでも理解できるものでなければならないのです。だから理解してもらえるように結論にいたる説明する必要があるのです。ついでの言うと結論とはそれが正しい時点で普遍的なものであり、よってその過程である説明の中にしか個性は存在しないのです。多分。


前のブログは、ずいぶんと要所を省いた表現でした。
なにせここでは思いつきを書くこともザラですから、まぁ自分としてはアリなんですけど。


生きる場所を探すことは、死に場所を探すことです。


どういう風に生きたいかを考えることは、どういう風に死にたいかの答えに繋がってます。


だから、この場所では死にたくないなと思う場所では、本当は生きるべきではないのです。


ただそれだけの話。




それを探すのが、ある意味人生そのものであるとも、僕は思います。


だって、生き方は、単に場所だけの問題ではないでしょ??


広く考えれば、の話です。 



結局は、

自分の納得のいく人生を生きるまでは、誰だって死にたくないはずなんです。



ああ、簡潔にものを言い過ぎるのもつまらないですね。



でも、なんか話がズレますけど、


…いや、言いたいことあったけど、やっぱり話がズレるのは嫌なんでやめときます。 


あとはまぁ、察してください。