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リトミック


うちのとある先生が幼稚園の話なんかするから、その頃のことを思い出してしまいました。
あ、ごめん、幼稚園児の頃のことじゃなくて、幼稚園の先生に成るための勉強をしていた頃のこと。特に、実習に行っていたころのこと。

確かに、先生が話していた「幼稚園で1番の先生」は、視野が広くて様々な視点から状況を把握して適切な対応をしていたのだろう。
それは紛れもなく、社会に出てから必要なスキルです。
ただ、正直なところ、幼稚園教諭という仕事は、そうじゃなきゃ勤まらないんですよ。
違う言い方をするなら、幼稚園教諭にとっては、それは当たり前のことなんですよ。
相手は子どもです。生半可な気持ちでは子どもは付いて来てくれませんから。

幼稚園には色々な子どもがいます。自分で勝手に遊んでいる子ども、先生と一緒に遊びたがる子ども、何もしない子ども。
先生は一体どの子を見れば良いのか。
勝手に遊んでいる子どもが先生を必要としていない訳ではない。しかし、子どもの中にずげずげと入っていい訳ではない。ただ子どもと遊んでいれば良い訳では、もちろんない。

先生の行動には、全て「ねらい」が必要です。
ここで子どもと関わることで、その子のこんな所を延ばしたい。
ここはあえて見守ることで、このことに気づかせたい。
この遊びを通して、こんなことを知って欲しい。などなどなど。

それらは、1人の子どもだけを見ていたら、絶対に出来ません。

保護者を見ることも、もちろん当たり前です。
1人1人の子どもの性格、特徴を把握することは、もはや基本です。

それもこれも、全部、仕事の話。多分、どんな仕事にも言い換えられる話。
でもさっきも言ったけど、それ、当たり前だから、僕は先生の話を聞いて少しだけ驚きました。そうか、幼稚園の先生って凄かったんだ、と。

それはちょっと嬉しかった。先生じゃないけど、成り損ないとして。

ただこれだけは反抗しておきたい。子どもは集中力が無いんじゃない。子どもの集中力はとても深く、だから発想が豊かで、展開させるのが早くて、それはとても大人が付いて行ける世界ではないということだ。子どもは何も悪くない、むしろ凄い。そしてそんな子どもの姿を自分の枠の中に収めようとする大人は哀れだと、僕は思っています。

素直に認めちゃえばいいのにね、子どもは天才だって。

だから、そんな天才たちに囲まれて仕事ができる幼稚園の先生は、本当にいい仕事ですよね。確実に、自分が教えること以上のことが学べます。

え、じゃあなんで先生にならなかったのかって?

それは、まぁ、巡り合わせってやつですよ。

これ以上しゃべるのは危険と判断したので、やめときまーす。
よ、読んでくれて、ありがとう。
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