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昨日のダーリン

よろこんでもらえるから、私も頑張ってこれたことがありました。

でもそれは、よろこんでもらえるかどうかという不安と、いつも隣り合わせでした。

だからどこかで、自分のやりたいことだからと、自分自身に言い聞かせてもいました。

それなら、もしよろこんでもらえなくなっても、悲しまずに済む気がしていました。

その結果は、寂しかったです。

よろこんでもらえなくなったことが悲しくて、こうなることを恐れていた自分が情けなくて、寂しい。

それは根底に、やるべきことが無くなる不安があると思うんです。

人は誰でも、いつかは役割を終えます。

その時の悲しさに、よろこんでもらえていたかも、自分がやりたかったかも関係ありませんよね。

でも、よろこんでもらえない方が、諦めはつく気がします。

…確かに、これが正しいとは、言えませんね。


恥ずかしいので、ここだけの話にして下さい。

様々な前提があって理解されることを、僕は早く理解したいから、いろんなことをまだまだしてみたいし、考えたいと思うよ。


誰だって、一度得たものは無くしたくない。

でも、無くなってしまいそうな時に、

しがみつくのか、

諦めるのかの選択が、

その人の人間としての深みのひとつだと、いえるのかも知れません。


無くすことを怖れたら、何も変わらない。

でも、無くさないと、その意味は分からないんだろうな。


「全部なくていい」なんて、

一度でいいから言ってみたい。

そんな生き方を、目指したい。

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