「あっ」
伊勢島さんが急に声をあげた。
「どうされました?」
「やっと思い出した」
服を着て、もう帰る寸前だった彼を慌て鐘子は引き留めた。
「さっき言いかけてた、本当に怖かった話? ですね」
「そう、そうなんだ」
伊勢島は語り出す。
休日。うとうとと昼寝していた際に玄関のベルがなる。
鬱陶しく思いながら、彼が顔を出すと、そこには日傘を差して全身黒ずくめに白塗りの老婆、その後ろでほとんど同じ格好をした四十代くらいの女性。
「××ビト様はいらっしゃいますか?」
老婆が口を開いた。
ビトの前はよく聞き取れなかったが、反射的に伊勢島さんは「いない」と口走る。
「では」
老婆は後ろの女性に目配せをする。
女性が取り出した一冊の本。見たことがない漢字で書かれている。
「こちらは××ビト様のお言葉です」
――宗教か。
得体の知れない宗教ではあるが、怪異の類いでないことには妙な安心感を覚えた。
当然ドアを閉めて、そのまま昼寝に入る。
「そのまま、夢だったか現実だったわからなくなってたんだよなぁ」
鐘子は少々落胆していた。
期待していたような怪異でもなければ、別段怖くもない。
単に宗教の勧誘に会っただけではないか。
「なぜそれを急に思い出したんです?」
「聴こえないか、君?」
鐘子はホテルのドアに耳をすました。
「××ビト様はいらっしゃいますか?」