どことどこが繋がってるか、なんて
解いてみないと分からないものだったりする。
「まいどー」
元気よく出迎えてくれた人。八百屋さんや魚屋さんの類ではなく。
この学園の、司書の先生だ。
「粂野先生、こんにちは」
「あ!いらっしゃい」
粂野先生──とても明るい、左頬に二本の傷がある男の先生──に元気よく挨拶され、軽く会釈をする。
「今日も国語の史料探しですか?」
「はい、昔の中国の風景が載っている雑誌とか、史料とか、この図書館にありますか?」
粂野先生はわたしの質問に対し、机上にあるタブレットを操作していく。ややあって、「それっぽいのなら、多分」と、本棚の位置を教えてくれた。
ありがとうございますと一礼し、教えてもらった本棚に向かう。
私立の学校ということもあり、資料(と史料)や蔵書が充実している学校の図書館。もしかしたら市が運営している図書館よりも蔵書数が多いかもしれない。
放課後と言うこともあり、この空間には生徒の姿がちらほら見受けられる。
真面目に勉強している生徒もいれば、待ち合わせなのか音楽を聴いている生徒、参考書を開きながら船を漕いでいる生徒と様々だ。
自分の背の高さ以上ある本棚を見上げる。異文化の香り。確かに、探していたものはここにありそうだ。
華やかな背表紙をなぞりながらお目当ての本を探していると、粂野先生の声が聞こえた。
「あっ、実弥」
その、覚えのある名前に図らずも身体が反応する。本棚の陰から声のした方を覗き見ると、これまた覚えのある後ろ姿。でしょうね、と、心の中でツッコミを入れた。実弥なんて名前、この学校に彼しかいない。
そんな馴染みある彼の姿を確認したところで、再び探し物に戻る。求めていた写真が載っている本を何冊か手に取り、貸出カウンターに向かった。
「おかえりなさいませー。お目当ての本はありましたか?」
実弥ちゃん、じゃなくて、不死川先生と仲良く話していた粂野先生がこちらを向く。
「はい、ありがとうございます。これ、お借りしても大丈夫ですか?」
「もちろん。あ、でも、持ち出し禁止なんで、早めに戻していただけると」
「あ、じゃあ今日中に」
「りょーかいです」
と、わたしと粂野先生の間を不死川先生が割って入ってきた。
「……なんだそれ、読むのかよォ?」
「そんな訳ないじゃん。授業で使うの」
「へえ」
「不死川先生はなんでここにいるんですか?」
「あ?匡近に貸したゲーム、どこまで進んだのかと思ってよォ。進捗確認に来た」
「ふーん」
この二人、ゲームを貸し借りする仲なのだろうか?不死川先生の口から粂野先生の話題なんて一言も出たことがないので、驚き。
「で?どうなんだよ、匡近」
「……」
話を振られた粂野先生は、わたしと不死川先生の顔を交互に見て、分かりやすく疑問符を頭に浮かべた。
「……二人って、結構仲良し?」
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
誰が誰と仲良し?わたしと、不死川先生のこと、だよね?
なんとなく答えあぐねていると、不死川先生が口を開いた。
「中学ん時の同級生だァ」
それから言ってなかったっけか、と、粂野先生に追加で言ってのける。
確かに、わたしと不死川先生は中学の時の同級生だけど、二人の間には今それ以外の関係でも繋がっていたりして。
……そんなこと、口が裂けても言えない。(しかもここ学校だし)
粂野先生は「聞いてないよ」と口をとがらせた。
「あ、じゃあ俺の知らない実弥も知ってるって訳だ」
「テメェが知らねぇ俺なんていねぇだろーが」
「そんなの分かんないじゃーん」
すると、何か妙案を思いついたのか、粂野先生の顔がパッと明るくなる。
「あ!いいこと思いついた!今日金曜日だし、飲みに行きませんか?こいつ抜きで」
「へっ!?」
予想外の展開に、思わず変な声が出た。
慌てて口元を掌で覆い、すみませんと謝罪する。
「え、あ、不死川先生は?」
わたしの一言に「ダメダメ」と首を振る粂野先生。
「実弥のあんな話やこんな話を聞きたいのに、本人がいたら確実に怒られちゃうじゃないですかぁ」
「……俺は今既にキレそうだけどなァ」
「実弥が高校の時にやらかした衝撃の話を教えますからっ」
「え、」
ホントですか、それ気になります。
口にする前に、不死川先生が図書館中に響く割と大きな声で「匡近ァ!」と粂野先生の下の名前を呼んだ。
一斉に視線が集まり、ばつが悪くなる。
一方当の大声を出した人と大声を出された人は、そんな視線気にも留めていない。
殺気立ってる視線の先には、ヘラりと笑う粂野先生。
「えーと……」
今日は週末で、いつもなら隣にいる不死川先生と飲みに行く日、なのだけど。毎度毎度彼とちゃんとした約束をしている訳ではないし、なんなら今日だって約束があるわけではない。ただ、もしかしたら不死川先生は今日、わたしと飲みに行くつもりでいたかもしれないし、そのために予定を空けていたかもしれない。
どうしよう、どうすべきか。とりあえず一旦保留にした方が、と考えたところで、不死川先生が分かりやすく舌打ちをした。
「俺の話は絶対すんなよなァ」
「それはどうかな」
ニヤニヤしながら煽る粂野先生に、不死川先生が青筋を立てて笑う。
「匡近、テメェなァ、いい加減にしねぇと……」
「あっ!お客様、ここは図書館なので大声は禁止です」
「誰のせいだァ!」
粂野先生に掴みかかろうとする不死川先生。そんな彼を軽くいなしながら、粂野先生はスマホを取り出し「そんな訳で連絡先交換しましょう!後で連絡しますから」と、QRコードを差し出す。
そんなドタバタの中で交換した連絡先から、「今日はここにしましょう!」とお店のURLが送られてきたのは、その数十分後だった。
***
……なんてやり取りの後に行われた二人飲み、まさかこんな状況になろうとは。
目の前にはうつ伏せですやすや寝てる粂野先生と空になったグラス。粂野先生が起きるのを待っているわたし。
まだ一次会なのに、と思ったけど、いつもお酒が強い人と飲んでいることを失念していた。
無理させてしまったかなと反省、無理矢理起こすのもしのびないので、かれこれ数十分はこのままの状態、なのだけど。
「すみません、お席の時間なのでご退席お願いします」
時間が来たことを伝えに来た店員さんが、粂野先生の姿を見て吃驚する。
「あの、お連れ様……大丈夫ですか?」
「あ!はい、すみません、今起こします」
慌てて粂野先生の肩を揺すり、名前を呼ぶ。顔を上げた粂野先生の表情は寝起きのそれだ。
「んぁ……」
「粂野先生、すみません。時間みたいで。立てます?歩けます?」
粂野先生は大きく欠伸をして、「大丈夫ー」と力のない返事で応える。こんな状態じゃ財布を取り出してもらうのは無理だなと、とりあえずここはわたしが払うことにした。
伝票を持ってレジに向かい、会計を済ます。席に戻ると粂野先生はまた突っ伏して寝ていた。
「ちょっと、粂野先生!」
再び呼び起こす。こんな状態で家に帰れるのだろうか?店出ますよと伝えると、またまたふにゃけた返事。
覚束無い足取りで壁を伝って歩いてきた粂野先生はお店から出た瞬間「いやあ飲んだねぇ」と上機嫌な笑顔をわたしに向けた。
楽しそうでなによりです。
「粂野先生、お家、どっち方面ですか?」
「んー、あっち」
倒れそうになる粂野先生をなんとか支える。あ、これダメだ。一人で帰らせてはいけないやつ。道端で寝こけて朝まで起きないやつ。最悪の状況を想像して、血の気が引いた。
そこら辺にいたタクシーを捕まえて、強引に押し込む。
詰めてくれない粂野先生を力ずくで押しのけ、わたしもタクシーに乗り込んだ。
「粂野先生、タクシーで送りますから、家の住所教えてもらってもいいですか?」
再び眠りにつきそうな粂野先生に、懸命に話しかける。
すると粂野先生は出し抜けに懐から携帯電話を取り出して、どこかに電話をかけ始めた。
「……あー、うん、俺俺ー。……え?酔ってない酔ってない。んふふ。そんな訳でぇ、今からタクって帰るから!よろしくー」
呂律の回らない状態のまま電話を切り、そのままの勢いでタクシーの運転手さんに住所を告げる。とりあえず、一安心。
運転手さんに「お客さんの行先も一緒でいいですか?」と尋ねられたので、頷く。カードの余裕はまだあったはずだ。
タクシーが動き出すと同時に、どっと疲れが襲ってきた。普段こんな風に誰かを介抱することなんてないから、気疲れしたと言うか。
隣ではすやすや眠ってる粂野先生。よく眠っていらっしゃる。
窓の外を流れていく光を、ぼんやりと見つめる。そう言えばタクシーを使うのなんて、いつぶりだろう。
いつも実弥ちゃんと飲んだ日はそのままホテルに転がり込むか、終電に駆け込むかのどちらかなので、そういう点では今この状況が新鮮だったり、する。
実弥ちゃん、今何してるのかな。回らない頭で、彼のことを思った。
***
「お客さん、着きましたけど、ここら辺で大丈夫ですか?」
そう、タクシーの運転手さんに言われたけれど、自分が今どこにいるのか、ここがどこなのか、さっぱり分からない。
あたふたしていると、連れの野郎に聞いた方がいいんじゃないですか?と言葉が続いた。
「あっはい、すいません」
タクシーの運転手さんは、うんざりした顔でこちらを見つめている。
そりゃそうだよね、こんな面倒臭い状況に居あわせるのなんて嫌だ。
粂野先生が吐いてないだけまだマシか。
「粂野先生、着いたんですけど、ここで合ってますか?」
身体を結構な力で揺さぶる。が、起きる気配は無い。
え、どうしよう。って言うかこれ、どうすればいいんだろ。
粂野先生!大声を出してみるけれど、未だ反応なし。寝息は聞こえるから生きてはいるんだろうけど。
どうしよう。すっかり困り果てた、その時だった。
タクシーの窓が数回ノックされる。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは実弥ちゃんだった。
「実弥ちゃん!?」
タクシーの運転手さんが「知り合いですか?」と尋ねてくる。その質問には答えず、「すいません開けてください!」とお願いした。
扉が開く。そこにいる男の人が間違いなく実弥ちゃんだったので、よかったと無意識に呟いていた。
手を差し伸べられたので、掴む。立ち上がって、実弥ちゃんの身長って粂野先生よりちょっと大きいんだなと場違いなことを考えた。
「匡近から電話があって、もうそろ着くかと思って迎えに来た」
「そうなんだ……」
「まさかお前がいるとは思わなかったけどなァ」
「……こんな状態で、一人になんかさせられないよ……」
タクシーの中を覗き見、状況を把握して大きなため息をつく実弥ちゃん。
粂野先生のカバンから財布を取り出して、タクシーの運転手さんに謝りながら乗車料金を払う。
それから粂野先生をタクシーから無理矢理引きずり下ろして、粂野先生に肩を貸してあげた。
「コイツのカバンと上着持てるかァ?」
「あっうん、任せて」
引き摺るように粂野先生を運ぶ実弥ちゃん。辺りを見渡して、そう言えばここ、見覚えある場所だなと改めて思った。タクシーの窓越しじゃ分からないものなんだなあ。
実弥ちゃんの家までは、数分もかからなかった。玄関で器用に粂野先生の靴を脱がすと、そのまま粂野先生をソファーに言葉通り放り投げる。驚くことに、乱暴な扱いを受けてもなお、粂野先生は安らかに眠っていた(意味違うけど)
「悪ィ、匡近が迷惑かけて」
「あっ、いや、わたしも粂野先生に無理させちゃったかなって」
実弥ちゃんは頭を乱暴に掻きながら「酒弱ェくせにアホほど飲みやがるんだ、こいつ」と、この状況に慣れてるような口振りで話した。
「そうなんだ」
「会計もお前が立て替えてくれたんだろ?いくらかかった?」
言いながら実弥ちゃんは粂野先生の財布からお札を何枚か取り出す。 わたしが出した会計額よりも多かったので、慌てて突っ返した。
「いいから、貰っとけ」
「いやでも、このお金、実弥ちゃんのじゃないでしょ」
「迷惑料込みだァ。匡近には俺からキツく言っとくから」
「……でも、」
躊躇っていると、手のひらにお金を捩じ込まれた。そこまでされて断るのも失礼だなと思い、懐に仕舞う。
「……」
「……」
微妙な空気が流れた。
いかん、そんな空気に反応してないでお暇しなきゃと、別れの挨拶を早口で言って踵を返す。
すると、後ろから手首を掴まれた。
「おい待て、失礼すんじゃねェ」
「いやっだって!帰らなきゃ!」
「帰らなきゃって、どうやって帰るんだよ」
言われて思った。確かに。
今ここから急いで駅に向かったとして、終電には間に合わなさそうな時間帯だ。それに今日は金曜日だし、タクシーも捕まらなさそうな雰囲気。
「泊まってけばいいだろォ」
しれっと、なんでもないように、そう提案してくるから。
なんだか、急に恥ずかしくなって、言葉が詰まる。いや、それが最善策なんだろうけど。(幸運にも明日、部活はオフだった)
「お前、明日部活は?」
「……」
「おい」
「……」
聞いてんのかよ。掴まれた手首をグイッと持ち上げられ、視線が音もなくカチリと合う。直後、「お前、なんつー顔してんだ」とデコピンをくらった。
痛みに驚く間もなく、唇が耳元に寄せられる。微かに違う熱が触れた気がして、心臓が跳ねた。
「んな顔してっと、ここで襲うぞォ」
「なっ、」
その言葉に、咄嗟に掴まれてる方とは逆の手で実弥ちゃんの胸板を殴っていた。
こんな時に、冗談が過ぎるでしょ。
「粂野先生がいるんだよ?馬鹿なこと言わないで」
「アイツなら明日の昼まで起きねェよ。試してみるかァ?」
「ちょっと、聞こえたらどうするの」
まるで学校の図書館にいる時のように、声を潜める。そんなわたしの気持ちなんかおかまいなしに、実弥ちゃんはニヤリと、意地悪な笑みを浮かべていた。
まずい、この笑みはいたずらっ子のそれだ。良くない気がする。逃げなければ。そう判断する前に、実弥ちゃんの長い睫毛が静かに揺れて、お互いの身体が近付いて、唇が重なる。
「──っ!」
そのまま舌が侵入してきたので、胸板に置かれたままの手に思い切り力を入れて突き放して、目の前の不謹慎な男を睨みつける。何考えてるのこの人。
わたしの凄みに怯むことはなく、楽しそうに笑う実弥ちゃん。そんな彼に、「ホントにやめて」と、強めの口調で牽制を入れた。
「チッ。仕方ねぇ、今度なァ」
「今度もへったくれもありません。永遠にしないでください」
キミが悪いよ悪いけど
そんな、安っぽいビデオじゃあるまいし
誰が喜ぶんだっつーの、こんなシチュエーション!