この右手じゃなにもかもが不便なんだよ
情けねぇことに小さな岩も持てやしねぇ
風柱様が戻ってきてからと言うもの
がらんどうだった戸棚にはいつも
かわいいおはぎが必ずひとつは眠るようになり
まるきり出番がなく暗闇でくつろいでいた布団を
敷いたり畳んだり片付けたりといった仕事が増えたり
ジャンケンのように悩ましい献立決め
床の間の隙間に捧げる生け花と
聞こえるくしゃみ、微かな微笑み
世界に始まりが訪れたよう
「では、風柱様。わたしはこれにて失礼致します」
「おー。ご苦労さん」
玄関で一礼し、帰る場所へ歩き始める。
頬を撫でる風が、いつの間にかあたたかくなっていた。
(そういえば)
帰路につきながら考える。
(風柱様が帰ってきてからもうしばらく経つし、わたしがあの屋敷に通う必要もないのでは)
思い返せば数年前
最終決戦を終え、療養中で不在の主に代わり
風柱邸を守って欲しいと言われ
風柱様が屋敷に戻ってきたかと思えば
今度は「旅に出てくる」と留守を任され
長年ひとりぼっちでいたけれど
屋敷の主が戻ってきたならば、わたしの存在は必要にあらず。
今度こそ職を失うことになるのでは。
それはいけない!
このままだとまずい!
現実、露呈。
道のど真ん中で変なステップを踏んでしまった。
「……という訳で、新しい仕事を探そうと思って」
相談相手は、同じ境遇の同期達。
隠としての仕事を共にし、隊が解散しても
大きな長屋を借り、身寄りのない、帰る場所がない者同士で寄りあって生きている。
「確かに、風柱様が戻ってきたんだったらアンタはいらないよね」
「そうなのー。暇を言い渡される前に転職しようと思って」
「そういえばあそこのデパート、店員募集してたよ」
「えっ!気になる!すれ違う人が鬼だって疑わなくていいから精神的に楽そう!……でも、今まで接客なんてやったことないからどうかなあ」
「蝶屋敷はどう?」
蝶屋敷とは所謂、総合病院みたいなもので。
今現在は規模を縮小して診療所として地域に根付いている。
「看護婦かあー。多分足引っ張るし……」
「あたし蝶屋敷の雑用やってるから、アオイさんに口添えしてみようか?」
「どんなことするの?」
聞けば掃除洗濯炊飯と、今やってる仕事とさほど変わらなさそうだった。
それなら今までの経験を生かせるし、うまくやっていけそうだ。
提案してくれた彼女にお願いしますと頭を下げた。
明くる日。
いつもの時刻にいつもの館におじゃまする。
玄関先でお名前をお呼びすると、ややあって寝起きの主がやってきた。
珍しい。
「おはようございます。本日もよろしくお願い致します」
「おォ、ご苦労さん。ちと手伝って欲しいことがあんだ。昨日の夜宇髄と冨岡が来てよォ」
「音柱様と水柱様がですか?」
「あー。ったく、アイツら片付けすらしていかねぇで帰りやがった」
チッ、と舌打ちが聞こえたけれど
顔はどことなく嬉しそうにほころんでいる。
「ふふ、では急ぎ片付けます。その間に茶菓子をご用意させていただきますが、なにかご所望のものがあれば」
「いや、それくらい自分でやるからいいわァ」
「いえ、わたしの仕事ですので」
わたしの言葉に風柱は何か言いたそうな雰囲気だったけど
悪ィな、と一言だけ呟いた。
宴会の片付けを終え、雑談をしながら縁側で和菓子をつつきあう。
(こんな光景、昔だったら考えられなかった)
あのかすていらの日からずっと、風柱様はわたしに菓子を分けてくれるようになったのだ。
隣でいただくのにはいつまで経っても慣れないけれど、全身がガタガタと震えることは少なくなった。
「どんな会話をされたんですか?」
「互いの近況報告ばっかりだァ。冨岡の野郎には縁談が舞い込んできたらしいぜ」
「水柱様にですか!それはいい知らせですね」
「宇髄も嫁とよろしくやってるみてぇだし、平和だなァって三人で馬鹿みてぇにしみじみしてよ」
話しながら風柱様がお盆の上から湯のみを持ち上げようとした、その時だった。
上手く指が湯のみに引っかからず、かたんと倒れ
お茶が転がり落ちるのを見た。
すかさず立ち上がる。
「風柱様!大丈夫ですか!?」
雑巾の代わりに、口元を隠していた布を剥ぎ取り零れたお茶を拭き取ろうとすると
風柱様に手首を掴まれ止められた。
「お前!素手で触んな、火傷するぞ!」
「大丈夫です!むしろ反応が遅く申し訳ございません」
空いていたもう片方の手で風柱様の静止を振り切り、拭き掃除を始める。
「チッ、情けねぇな……おい、雑巾持ってくるからもうそれで拭くんじゃねェ」
「いえ!わたしがやりますので、風柱様はそのままで結構でございます」
「そのままで、って……」
「新しい菓子もすぐご用意致しますっ」
新しい菓子の他に、飲み物も入れ直して
風柱様のお召し物も箪笥から出さないと
お風呂の準備をした方がいいのか?
火傷用の軟膏はどこにしまったか?
湯のみは割れていないだろうか
バケツと雑巾の他に何を使うか
早急にすべきこと、後回しでもいいことが脳内でぶわっと広がり、猛スピードて整頓されていく。
だから、風柱様の表情なんて
これっぽっちも、見る余裕なんてなかった。
一通りやることを終え、改めて風柱様に謝罪する。
「申し訳ございません!」
「なんでテメェが謝るんだよ」
どう見ても悪いのは俺だろうが。
眉間に皺を寄せながら風柱様が言う。
「いえ、わたしがもう少し早く気付いていれば、湯のみが倒れる前に手を添えられたかと」
「んなの、咄嗟に手なんて出る訳ねぇだろ」
「いえ……そうでなくとも、火傷の可能性がある温かい飲み物をお出しするべきではありませんでした」
「それも考えすぎだろ……まあ、ありがとなァ。顔上げろォ」
「はい……」
おそるおそる顔を上げると、悲しそうな顔で失った二本の指を見つめていた。
「この右手じゃなにもかもが不便なんだよ。
情けねぇことに小さな岩も持てやしねぇ」
「ご心労お察し申し上げます」
「嫌になっちまうよなァ。出来てたことが出来なくなるなんて考えたこともねぇし。まあでも、なんとかやってくしかないんだよな」
「……そう、ですね」
「……悪ぃ、泣き言言っちまった」
「いえ、わたしでよければいつでもお聞きします」
「おい」
「はい」
「テメェ、ここに住み込みで働け」
「はい……えっ」
沈黙。
「あ、あの。住み込みで働けとは」
「額面通りだろうが。俺はこんな状態だし、箒一本包丁すら持つことすらままならねぇ。なんかあった時、誰かが傍にいてくれりゃあ助かるんだわ。テメェだったらここの屋敷の勝手も知ってるだろ」
「あの、住み込みで働けとは?」
「はァ?俺の話、聞いてなかったのかよ」
どうやらわたしの耳と脳がおかしくなってしまったらしい。
誰が?住み込みで?ここで働くの?風柱様?
キョロキョロと辺りを見渡し、もう一度風柱様を見つめる。
薄い唇からはあ、とため息がこぼれた。
「金は出す。家賃や飯代なんかもいらねぇから、住み込みで働け」
新生活のはじまり
(……ええぇっ!?!?わたしが!?わたしがですか!?)
(そうだって言ってんだろ!他に誰がいるんだよ)
【
風柱が帰ってきた話の続き。
今更ながら最終決戦後の話()
サネミチアのコロコロ変わる表情をもっと書いていきたいー!もっと笑って欲しい!笑
隠の人達って最終決戦が終わったあとどんな仕事についてたんだろう
夢主ほんとできる女】