そこに助けたい人がいるからあたしは走るんです、といつの日だったかアイツは満面の笑みでそう言った。
正体不明の薬やらクソ長い包帯やら綿棒やらガーゼやら何やらを持った箱を軽々と背負って(一度持たせてもらったがあんなの持てる女がいるのがすげェ)あちこちを走り回って怪我してる子どもや血塗れの攘夷浪士、産気付いてる女や死にそうなジジイやババアの所に行って無料で治療してやるんだ。
それが人間だろうが動物だろうが天人だろうがアイツにとっては大差ないらしく誰彼構わず道端で必死になって手当する。そうしてお礼を聞く暇もなく走り出して次の病人の所へ行く。
ホント、人騒がせな娘だよなァ。
かく言う俺もアイツに助けてもらった一人だった。
あん時の記憶はぶっ壊れたレコードみてェに途切れ途切れで良く覚えてねェが、確かに覚えてるのは泣きそうになりながら俺を見下ろしていたアイツの顔。何を言ってたのかすらそれすらも曖昧だが「しっかりして下さい!」とか「大丈夫ですか!?」とかそんなことを言ってた気がする。
背負っていた箱から塗り薬や包帯を取り出しテキパキと俺の切傷を包み、傷口が深い所は少しだけ縫ったりして(もう何が痛ェのか分かんねェくらいに俺の感覚神経は麻痺していたらしい)出血多量で死と生の間をふらふらしてた俺を助けてくれた
どーにか助かって仰ぎ見た空は相変わらず青くて、その時俺は改めて生きていることを実感したんだった。
地面に出しっぱなしにしていた薬を綺麗に箱の中にしまっている知らねェ女に俺は躊躇いもなく話しかけた。
『…オイ、』
「何ですか?あ、無理に身体を動かさない方が『──俺が、誰だか知ってんのか?』
幕府に指名手配されてる男だぞ俺は。顔ぐれェ知ってるだろォが、そう思ったのが間違いだった。慈愛のこもった笑顔を漏らしながら女は「ええと、誰でしょうか?あたしの知り合いにこんなカッコいい人はいなかったはずですけど」と、言った。
俺は、俺のことを知らない人間にこの時初めて出逢った、んだ。
だからその衝撃が未だに俺の脳ミソにこびりついているのかもしれない。
「…あ。もしかして有名人ですか?すいません、あたし瓦版とかテレビとか見ないんですよね」
ああ、確かに有名人かもしれねェなァ と思いながら俺は片目で女の顔を見据えながら自分の名前を口にした。
『…過激派攘夷浪士、高杉晋助…って名前、聞いたことねェか?』
流石にこの名前を聞いたら普通の人間なら恐怖で震えるだろうと思ってたのに、女はやっぱり分かりませんと少し恥ずかしそうにしながら言ったから呆然。ホントに俺のこと知らねェのかこいつ、
「攘夷浪士、ってあれですよね?国を変えようとテロとか幕吏や一般人を平気で殺したりする人達ですっけ」
『…まァ、その知識は間違っちゃいねェ』
「で、高杉さんもその一人なんですか」
その質問には答えず俺は女に質問した。
『お前、俺が怖くねェのか?』
女は一瞬面食らったような表情になったが、少しの沈黙を破って口を開いた。
「怖いとかそんなこと考えてたら貴方を手当出来ないでしょう」
『は、』
「子どもだろうがご老人だろうが攘夷浪士だろうが天人だろうが、死にそうになっている人を見過ごす訳にはいかない性質なんですよ、あたし」
そうキッパリと言い、すたと立ち上がった。よいしょ、と箱をリュックのように背負って応急処置なので早目に医者に診てもらって下さいね、じゃあお大事にと言い残して走り去ってしまった。俺は小さくなっていく後ろ姿を、ただ見送ることしか出来なくて。
名前も聞き忘れ、礼も言いそびれたっつーのに何故か後悔はしていなかった
また、逢えると思ったから。
そしてその後、予想通り俺は街中で江戸を走り回り怪我人を手当しているアイツの姿を見掛けた。二回目に逢った時最初に喋ったのは俺かアイツかどっちだっただろうか、そんなの随分昔のことで思い出せねェがいつしかお互い偶然逢ったら甘味屋で団子を食いながら他愛もねェ世間話をするのが習慣になっていて俺も江戸に向かう回数が増えて。
だけどすれ違いなのか一ヶ月近く逢えない日が続いて、それでもこうして江戸の街に足を運んでしまうのは何故だろう、何故だろう。
「高杉さん」
不意に後ろから聞こえた声、身体全体で振り向くといつもの箱を背負いながら見慣れた女が人波の中で笑っていた。
一ヶ月近くまでどこに行ってたんだと茶をすすりながら訊ねたら薬になる薬草を採りに武州まで行ってました、と返ってきた。
「ここら辺の店の薬草はあたしの所持金じゃ高くて買えなくて」
そう自嘲しながら語る女の横顔を見るのも久し振りだった。団子をぱくりと頬張り美味しい、と呟く。
『薬草の一つや二つ、俺が買ってやるのによォ』
「そんな訳にはいきませんよ、それなら自分の部下に美味しい物を食べさせてあげて下さい」
栄養失調に効く薬はなかなかないんですから、その言葉に俺は確かになと頷いた。
ひゅう、とそよ風が吹く。
なんとなくこの空間が居心地良くて、もしかしたら俺はこいつに特別な感情を抱いてるのかもしれない ふと、そう考えた。
それが愛情だとか憧れだとか良く分かんねェけど愛情なんて一時の気の迷いが生んだ痛みだろォが、なんて思い続けてたんだけどなァ、
ほわほわした想いを持て余しながらぼんやりと地面を見つめていた、その時だった。
「あっ!」
小さなガキの悲鳴が聞こえ反射的に顔を上げる。丁度目の前でガキが地面に突っ伏して転んでいた。それを見た俺が横を向いて何かを言う前に女は箱を持ってガキの方に走っていたから驚き、怪我人に敏感なのはいつでも変わんねェなァ。
例の箱から傷薬やらばんそうこうやらを取り出して目を見張るスピードでガキの手当を進めていく。泣きそうに歪んでいる顔を覗き込みながらガキに笑いかけているのを遠目に見て、思わず俺の口元にも笑みが浮かんだ。
「…あ、痛くない!ありがとう、おねえちゃん!」
「いえいえ、転ばないように気を付けるんだよ〜」
あらかたの処置が終わったのか、ガキはアイツに手を振りながら人混みの中に消えていった。
箱を背負い、すたすたと歩いてきた女は懐から金を出し、「これあたしの分です、」と言い、そろそろ行きますね そう続けた。
『もう行っちまうのか、もう少しゆっくりしてけばいいだろ』
「あたしもそうしたいんですけど最近忙しくて」
ふう、とついたため息はどこか明るかった。俺は鼻をふん、と鳴らしてキセルの煙を吐く。
『…なァ』
「?」
『……、頑張れよ』
はい、と軽やかに返事した薬売りの女の笑顔は誰よりも何よりも眩しかった。
遠くまで走り続ける君を、
ここで、ずっと見守ってるから。
【song:“走り抜ける君へ、Hurry Up!”
ごちゃごちゃ長くなってしまったorz】