久しぶりに塾講バイトの連中と飲むから普通に楽しみだったのに、なんだか無性にイライラして行きたくない。
明日は久しぶりに労働するからかしら。

とか思ったけどせーり前からじゃん。
行くのやめようかな。
絶対楽しくない。

なんかすげー萎える。
昨日めちゃくちゃ楽しかったけど、今は人生つまんなすぎて死にたい気分。
これ絶対せーり前だからだろ。



なんか夏っぽいことしたいなー。
でもどうせ夏っぽい馬鹿みたいなこと一緒にしてくれる子なんていないだろうな。
社会人クッソつまんねえ。


高校卒業したときも、大学卒業した今も、相変わらずである。
まわりが急に大人になるのだ。
奴らはつい半年くらいまで私と一緒に馬鹿やっていたくせに、急に大人然として、つまらないことばかり話しはじめる。

でもおそらく私もそうなのだ。
下らない無茶とか非常識なことができなくなってくる。
カラオケで2時間くらい踊り続けるとか、電車でしこたま騒ぐとか、公園で全力で遊ぶとか。
そういうことをしたいと思うが、それに付き合ってくれる人間もそれに付き合える自分の体力もないんだろう。


自分でお金を稼ぐようになって、少しは現実が見えてきた。
それは生きていくには必要な現実を認識する力で、欲しいやりたいをすべて出来るわけではないと知る。

友人より早く社会人になった奴にありがちだと思うが。
今の私は学生の無知や甘えが腹立たしいんだ。

塾講バイトの同期は、院に進むかダブるかで、私と同じく卒業した奴はいない。
だから、あの場に行くと必然的に
「狩野さん社会人だし〜」
という枕詞とともに、見当違いなことを言われるのだ。
それはだいたい
「朝が早い」とか「お金持ってる」とか、そういったものだ。

そもそも私は社会人なんてご立派なものにはなれていないんだ。
フリーターなんて身分じゃ学生より金があるわけがない。
自分の食い扶持と+αで、下手したら学生のときより金が無い。
だけども学生連中は、当然私に金があると思っている。
彼らは何故自分たちが好きでもない会社に媚びてまでフリーターを回避したがっているのか、忘れてしまったのだろうか。

別に、おごってよ、とか。
冗談だとわかっている。
でもこう、沸々とした憤りのようなものが腹の底にたまっていくのがわかる。
それを笑って流せる余裕はきっと明日の私にはないだろう。


せーり前とか、あるいは何かの原因で慢性的にイライラしているとき。
塾講バイトの同期が好きじゃないんだ。
奴らは院に進む余裕があるか、あるいは留年できる余裕がある家庭に育っている。
ひがみ根性を殺すことだって出来ない。



そんなことを言いだしたら、私に好きな人間なんていないのだろう。
友人なんて飽きのくる玩具と同じで、私に好意的で、適度に気が合って、適度に遊んだりできるやつならなんだっていいけど、卒業すればそんなに会わないし、頻繁に会っている暇もない。

仲間意識というものが薄いのかもしれない。
女子特有のグループ作りは面倒だし、大学ではそういったものには所属しなかった。
緩やかに形成されたグループらしき団体に出たり入ったりしていた。
いつもゲストのようなポジションだったのかもしれない。
私から見れば異常な仲間意識の元、今だに集まり続けている高校時代の先輩らは、ちょっと気味が悪いとさえ思っている。


人の情というのは、あまり信頼に足るものではなくて、その場の交渉にうまく働くかといった程度なのかもしれない。
決断に必要なのは利益だ。
利益のない付き合いは誰だってしたくないだろう。


会いたくない人間のいる食事に誘われたって、行きたくも無い。
誘ってきた人間には会いたいが、別に今日じゃなくても近いうち会う。
しかも、放っておけば自宅で食事は出てくる。
行くメリットが全くないので、私は誘いを断った。

こんな薄情な奴を誘うメリットはなんなのかといえば、誘ってきた人間がもう1人の人間(つまり私の会いたくない人間)と2人では間が持たないからだ。
だから、狩野もおいでよ、と。

それは可哀相だから、私も行こうとなるかもしれない。
でも、急に誘われて若干イラついた私には、同情心なんて芽生えなかった。
同情心が芽生えたとて、メリットのない食事に行くとは限らない。
結局、情は交渉を有利にする可能性があるだけで、決定打は利益の有無だ。


友人はそれなりに大事だけど、私は自身に利益の無い付き合いをしてまで、彼らを大事には思ってない。
私が特別薄情なのではなく、そういうものだと思っている。