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進撃11、




(この人はこんな無防備に眠ったりするんだ)

 誰も知らない秘密を知れたのかもしれないと思うと嬉しい。
 というより、誰も知らないでいてほしい。


 エレンの横になっているベッドの縁に上半身を預け、組まれた腕に頬を乗せてリヴァイが眠っていた。

 いつもの恐ろしい表情からは想像も出来ない子供のような寝顔をしていて、小柄な体型を含めると本当に子供にしか見えない。こんなこと本人の前では言えないが、可愛いとエレンは頬を緩める。
 眉間にいつも出来ているシワがないだけで変わるものである。

 整った寝息が眠りの深さを表している。余程疲れていたのだろうか、リヴァイが起きる気配は全くなかった。

 リヴァイがここで眠っているという状況を起きてすぐに見て、理解しろと言われても何を理解すれば良いのかエレンは分からない。というより、分かるかも知れないが混乱している。

 更にもう一つ理解出来ないことがあった。

 エレンの左手の指先、何か温もりがあった。柔らかな優しい暖かさにエレンは気づく。体温だった。子供のような温もり。
 今この場で子供という単語に結びつくものーーーリヴァイしかいないのだが、仮にもしこの指先に触れているのがリヴァイ(の多分指)だとしたら、何故自分の手に兵長が手を置いているのだろうか…とエレンの頭の中は更に渦を巻いていく。

(全然状況が、分からない…)


 しかしこのまま混乱してても仕方がないので、エレンは目を閉じて意識を回復させる。

 ベッドの上にいるのだから、眠っていたのだろう。殺伐とした部屋の雰囲気からして、ここはエレンが自室として与えられた地下室だろう。

 身体を支配している倦怠感、そして手足にはめられているーーー重い鉄枷と鎖。拘束、されている。懐かしい気分という微妙な心持ちになるエレンだった。

 右手を動かすとジャラリという鈍い鎖の音。




 ーーー急に頭と下腹が冷えるのを感じた。
 寒気を紛らわせるように、温もりを求めて指先に触れる感触を握ってしまう。

 呼吸が乱れそうだった。

(暴走して、しまった…?)

 実験の最中だった。
 巨人化の実験。
 ハンジ分隊長に、頼まれて。
 リヴァイ兵長の監視の下。
 何度か巨人になった。
 巨人になった後の時の記憶は毎回曖昧だ。
 でも、成功したかどうかは周りの空気で分かる。

(駄目だったんだ…拘束されてる、失敗したんだ…)

 最後に一回だけ、とハンジさんに頼まれた記憶は残っている。断り切れなくて、でもまだ行けると自分を過信したい気持ちもあった。

 確かな記憶はそれが、最後だ。

 誰かを傷付けた?ミカサに襲い掛かった時みたいに、自分の生み出した巨人を支配出来なかったんだ。

 誰かを殺した?暴走して、ただの巨人に成り果てたんだ。

 この手でぐちゃぐちゃに、引き裂いてしまったのか?

 誰か、教えてくれ。

「っ、はっ…」

 息を、吐かないと。
 息を、吸わないと。

 落ち着け、大丈夫だ。拘束されてはいるけれど、なにもなかった、そうだきっと…誰も、殺してなんかーーー

「誰も、誰も…っ」



 気持ち悪い。キモチワルイ。



 自分が酷く、異物に思えた。














「エレン」


 不意に口元を覆われた。



「落ち着いて、深呼吸しろ」




 鼻と口、頬にかけて何かが触れている。手、だ。

 声ーーー兵長。

 兵長。

 目線を兵長に向ける。いつもの冷たい眼差しの兵長に見つめられていた。


「リヴァ…イ、兵長」
「大丈夫だ。お前が思ってる程状況は最悪じゃない。良いから呼吸に集中しろ。深く吸って、長く吐き出せ」

 冷たい視線なのに、何故か身体が暖かくなったように感じる。

 指示通りに呼吸を合わせていく。

 深呼吸をするように、兵長の手の平の中で呼吸すると、しばらくして息苦しさが解消された。
 眩暈もなくなり、やっと冷静になれた。













「あの、兵長」
「なんだ?」

 リヴァイはエレンの呼吸が落ち着いたのを確認後、口元から右手を離した。その手をそのままエレンの額に乗せ、熱を測る。
 多少微熱があるようだが、問題はなさそうである。過呼吸も軽いものだったようで、エレンの朧げな眼光も徐々に強さを取り戻している。

「こんなこと言ったら殴られるかもしれないんですけど」
「じゃあその覚悟で言え」
「…兵長って可愛いですよね」
「開口一言目がそれか、馬鹿野郎」

 病み上がりの人間を殴るわけにもいかず、とりあえずリヴァイは額に当てていた手でエレンの髪をクシャクシャと掻き乱した。

「…殴らないんですね」
「俺はこう見えて優しいからな」
「殴ってほしかった」

 口元から緩く放たれた呟きをもちろんリヴァイは聞き逃したりはしない。

 乱れた髪を直そうとしてエレンは気づく。左手がまだリヴァイの左手を掴んだままであることに。
 どうしようか、と思っているとその手をリヴァイが握り返してきた。
 瞬間、クッ、と軽く爪を立てられる。エレンが顔をしかめた。

「っ…」
「痛いか、エレン」

 リヴァイに見つめられ、エレンは目線を反らす。

「痛い、です」
「痛いのは嫌か?」
「…嫌いです」
「それなら、ふざけた事は二度と言うな」

 地雷を踏んだのは分かっていた。リヴァイが自分に対して紛れも無い優しさを見せてくれたのは、偶然ではない。意図して接してくれたのだ。そう理解していて、責められるのは至極当然のことであった。

 困らせたいわけじゃない、エレンは顔を覆い隠したくなる。リヴァイに言いたいことが山ほどあった。でも、どれも言えそうになかった。

 馬鹿正直に真っ向から言い放つのが自分だと思っていた。けれどそれが嘘で塗り固められた虚像だと気づいた。
 言葉にしてしまわなければ、恐怖にも勝てず、力すら与えられない。
 そして取り残されるのが嫌で、自分は強いのだと言い張っていたのだ。
 だから、弱い嘘の存在と気づいたから、利用しようとしている。
(ーーーーーこの世界、を…)



「兵長、謝らないといけないことがあります」
「なんだ?」
「兵長を困らせるような発言をして、すみませんでした」
「それはどの発言だ?さっきの可愛いがどうとかか?」
「兵長が好きです」

 ってやつです、と微笑しながらエレンは続けた。
 そこでリヴァイもふと思い出した。誤解を解くチャンスかもしれない、と。

「エレン、勘違いしてるかもしれないが」
「勘違い?」

 エレンが首を傾げる。

「俺は別に、酔ってたわけじゃねぇからな」
「え?」
「なんだ…その、忘れてるわけでもない。覚えてる、酒は飲んでたが、意識はしっかりしてたんだ」
 苦し紛れといった感じでリヴァイは軽く頭をかいた。

「あの、兵長」
「お前に対してあれから何もしなかったのは…お前からも何もなかったからであってな」
「…兵長」
「確かに未だにどうすりゃ良いか分からねぇから困ってるといえば困ってるが…」
「兵長」

 エレンの行動は無意識に近かった。衝動に駆られて、意識の赴くまま、今も繋がっているリヴァイの手を自身の方向に引き寄せ、抱きしめた。

 身長の割に堅い、確かに男の身体であるのに、女性を優しく包み込むように背中に腕を回す。

 脇に当たる冷たい鎖の感触で、リヴァイは状況を理解した。

「兵長…可愛いです…」
「……またそれか」

 耳元で囁かれるエレンの声に息遣いが乗り、リヴァイはくすぐったそうに身じろぐ。

「俺、兵長に何もしなかったのは…自分の気持ちだけ先走って、兵長に好きかもしれないって流れで思われたくなかったんです」

 片口に乗せられたエレンの横顔をリヴァイは横目でチラリと流し見た。肩に埋められていて顔色は窺えないが、耳がほんのり赤く染まっているように感じる。

「兵長にちゃんと好きって思われたくて。俺の勢いに負けて、錯覚されたくなくて…」

 リヴァイを抱きしめるエレンの腕に力が篭る。

「だから、すみません。俺、もっと大胆になって良かったんですね」

「…?」



 エレンどういう意味だ、と質問しようと口を開いたリヴァイの身体がエレンから離れた。いや、離された。


「…、」



 リヴァイが反射的に口を閉ざす。その唇を隠すようにエレンが自身の唇を重ね合わせた。

 舌で唇を割ることもなく、ただ軽く触れる、子供のようなキス。
 ほんの数秒だけリヴァイは目を閉じて、久しく感じていなかった柔らかく温かい、人間味溢れる愛情表現で身体を満たした。

(…やっぱりこいつ、人間なんだな)

 この場にそぐわない感想を思いながらも、何故か泣きたくなるような切なく悲しい、締め付けられる想いを、リヴァイは覚えた。

 薄く目を開き、目の前の少年を見据える。
 閉じられた瞼に隠された黄金の瞳は、意志を燈して燃えているのだろうか。それとも今だけは炎を消し、静かに、穏やかに、安らいでいるのだろうか。

(今だけは…)


 幸福だと思えていれば良い。



 戦地で多くを失った男は、あやすように少年の背中に腕を回した。

進撃]、

 石畳の通路をブーツの踵が叩き、カツカツと軽快な音を響かせる。暗く淀んだ空間には湿っぽさと黴臭さが入り混じり、人の侵入を拒んでいるようである。

 細い通路を抜けた先に、下る階段があった。手摺りもない、足元には苔が所々生え、しかし部分的にそれは剥がれている。何者かが通った形跡が残っていた。

 長く伸びる影を照らしているのは小さなランプ。蝋燭の炎は時折吹く風に負けぬよう燃え、先に続く道をランプを持つ主人に導いていた。

(また…れだ)

 ランプの光りは希望の灯。
 最後の最後まで、燃え付き、爛れた蝋となるまで、必死に燃え続ける。

 これが、最後の蝋燭だ。


(これ…何度…なん…ろう)

 蝋燭の力強い炎とは真逆に、弱々しい声が聞こえた。声量が無いため、所々の言葉は風に掻き消される。しかし喋っているのが男ということと、ランプを持つ人間の声ではないということだけは判断がついた。

 声は階段の先から聞こえてきているようだ。

(も……んな…と、したく……)

 泣いているのだろうか、男の声は微かに震える。

 その声が止んだ瞬間、ランプの中の蝋燭が炎を燈さなくなった。足音も徐々にフェードアウトし、やがて消える。

 静寂と闇が階段を埋め尽くす。

 立ち止まったランプを持つ人間が、着込んでいたコートをまさぐる。

 しかし、お目当ての物が見つからなかったようだった。人間は落胆はしなかったものの、息を吐くと、暗闇の中、再び歩き出した。

 目的地は分からない。

 目的地を定めたのかも、分からない。

ただ、どんなに先が未知数でも、先があるのであれば進まなければならない。

諦める事はいつでも出来る。まだ足掻けるのであれば足掻こう。走っても良い、歩いても良い、休んでも良い。

蝋燭の光りは希望だから。

この光りが再び燈されるまで、進もう。














「何故だ」
「ごめん」

 リヴァイの問い掛けに、ハンジは素早く謝罪の言葉を述べた。頭は下げたままで、リヴァイを見ようとしない。しかし、今のハンジに頭を上げてリヴァイを見ることなど、到底不可能だった。

 二人を囲むように立った兵士達も呼吸を忘れそうなくらい場は凍り付き、リヴァイの殺気じみた覇気が襲い掛かっている。

 人類最強の怒りを誰が鎮められるというのか。

「お前、ごめんで済む話じゃねぇって、わかってるよな?」
「分かってる」
「じゃあ人間相手だってことを、根本的に忘れてたのか?」


 ハンジは押し黙ってしまった。膝の上で握られた拳が震えている。リヴァイの怒りに対してではなかった、自身が取り返しのつかないことをした、それへ対しての悔しさと惨めさだった。

 しかし、それが反省になるわけもないし、リヴァイが許すわけでもない。

「どうなんだよ、ハンジ」
「あの、兵士長…」
「外野は黙ってろ」


 この場をどうにかしようと苦し紛れに声をかけた兵士を言葉と眼力で黙らせ、リヴァイは再びハンジに向き直る。

 椅子に腰掛けたハンジの前で片膝を着きしゃがむと、おもむろにハンジの髪の毛を掴んだ。力の限り髪を引き上げ、ハンジの呻き声も、周りのざわめきも無視して、面を上げたハンジを見つめる。

 ハンジの前に、怒りの表情はなかった。

 代わりに、哀れむようで蔑む、瞳が並んでいた。

 ハンジがひゅうっと息を呑んだ。

「お前にとっては良い玩具になったよな。中身は気の知れた人間で、仲間で、これまでにないくらい良い実験材料だ。データも取り放題、知りたい事も、研究成果も十二分に発揮出来る逸材だ。だが、ハンジよ、なあ?あいつは巨人じゃないよなあ?」
「分かって」
「言い訳するくらいなら、あいつを化け物扱いしてんじゃねぇよ」


 乱暴にハンジの髪から手を離すと、リヴァイは兵士達を掻き分けて部屋を出ていった。

 掴まれ乱れた髪もそのままで、ハンジもすぐさま椅子から立ち上がる。

「ハンジ分隊長」

 その様子を見ていたペトラが駆け寄ってきた。

「大丈夫ですか…?」
「ああ、うん…それなりに加減されてたから」
「あの…すみません」
「もしかしてリヴァイの代わりに謝ってる?良いよーそんなことしなくて。リヴァイの言ったことも、行動も間違ってない…殴られなかっただけマシだからさ」

 でも、と言葉を続けるペトラの肩に手を乗せて、ハンジは笑ってみせた。

「とりあえず…エレンを起こして、謝らなきゃ」














「エレン、すまないな…ハンジのクソメガネは絞めといたから、起きたら許してやれよ」

 調査兵団本部の地下の一室、そこでエレンは眠っていた。

 ベッドの横に置いた椅子にリヴァイは腰掛け、横たわったエレンに声を掛ける。

「…お前は悪くないのに、酷いよな」

 リヴァイが手を伸ばし、エレンにかけられた毛布をめくると、手首が見えた。

 手首には鉄枷が嵌められていた。伸びた鎖はベッドの支柱に結ばれている。これは手首だけでなく、脚にも同じように施されていた。

 エレンに対してのこう言った処置は当初はあったものの、リヴァイの監視が付いてからはなくなっていた。だが、今回は特例という形でエレンの意志にもちろん関係なく、下されていた。

 手首の鉄枷のは拘束が強すぎるのだろうか、内出血が見える。血の気のなくなったエレンの肌に、その赤は痛々しい。



 エレンは、ハンジの監視の下で行われた実験の最中、暴走した。

 それも、エレンが疲れ切った状態であるのに、ハンジがどうしてもと頼み込み、上官に逆らえないが為にエレンが渋々了承して、という前フリがあっての暴走だ。

 エレンの巨人化には、体力と意志、それを繋ぐ精神力が必要となる。どれか一つでも欠ければ、エレンの揺るがない意志があったとしても、作り出された巨人の身体は意志を持たない巨人と同じ存在となる。

 それを分かっていながら、ハンジは実験を止めなかった。しかも監視役のリヴァイが一瞬席を外した瞬間を見計らって。

 もちろん場の異変に気づいたリヴァイが駆け付け、エレンの暴走を止めた。

 止めた、というよりエレンを削ぎ落とした、というのが正しい。そこはリヴァイの技術力を持ってして、エレンの肉体に損傷を与えず救い出せたが、疲労が蓄積していたのだろう、エレンはなかなか目を覚まさなかった。

 しかし、暴走したエレンの責任はエレンに課せられていた。無情とは正にこのことで、無慈悲な人間の恐怖により、エレンは地下室に投獄、手足は拘束され、自由を奪われた。

 結局、上官の命令とは言え自身の自己管理能力を無視した行動を行ったエレンに責務があると、結論が出されたのだ。負傷者が出ていないのに、だ。

 ハンジも自分の責任だと訴えたが、通らなかった。

 暴走した巨人の恐怖が、人々を支配していた。





「…」

 エレンのはめられた鉄枷を指先でなぞる。ザリザリとした錆の感触が伝わってきた。重々しく食い込むこの鉄色、白い手首、浮き出た血の赤、活発な年頃の少年に全て似つかわしくないものだった。

 このまま、エレンが目を覚まさないなんてことは、ない…とリヴァイは断言出来なかった。分からなかった。このままエレンは目覚めない、そうなるかもしれない、とも思えた。

 エレンは生きてる。

 でも、目を開けない。

 こんな人の欲望に塗れた世界に、この少年はまだあの燃え上がる炎を瞳に宿せるのだろうか。

 同じ人類に、怒りを覚えず憎しみを抱かず、また力を貸せるのだろうか?

「ここで死んだ方がお前の…」


 リヴァイは首を横に振る。


「エレン…」

 鉄枷の向こう、伸ばされた指を握る。暖かい。色あせた皮膚の下で、少年は生きようとしていた。脈は皮膚を必死に押し返していた。

 どうしたら良いのか分からなかった。ただ、目覚めて欲しいと思った。輝くあの瞳を見せてほしい、無邪気な笑顔を向けて欲しい。

 この数週間で芽生えた感情は、なんなのだろうか?


「エレン…エレン」

 リヴァイは呼び続ける。

 お前の帰る場所はここだ。
 俺の所へ帰ってこい。

「もう…誰も……」



 エレン、教えてくれ。
 この感情を、俺はどうしたら良いんだ?

進撃\、

入口に立つエレンの両の手にはマグカップが一つずつ握られ、白い湯気が仄に上がっていた。

「勝手に入ってすみません、ノックしたんですけど…」
「いや、集中し過ぎて…気づかなかった。とりあえずそんなとこに立っててどうする、何か用か?」

申し訳なさそうに頭を下げようとするエレンを制し、リヴァイはエレンを呼ぶ。

「兵長の姿が見えなかったんで、仕事が捗ってないのかなと思いまして…コーヒー持って来ました」

机の前に立ち、カップを掲げるエレン。片方を書類の脇に置くと、ソファーに腰掛けた。

「大変みたいですね、俺のせいで」
「別にお前のせいじゃねぇよ。仕事が遅いんだ、こう見えて」
「兵長が言うと嫌味にしか聞こえませんけど」

時には力強く爛々と輝く瞳に穏やかな風合いを乗せながらクスクスとエレンは笑みを零す。
そんなあどけない微笑みを見て、リヴァイはなぜか心が安らぐような感覚を覚えてしまう。

「…今日はハンジの実験に付き合うんじゃなかったのか?」

その感覚から目を反らすように、リヴァイは視線を下げ文字の羅列を追った。ペンを走らせ、意識を紛らわせる。

「その予定だったんですけど、ハンジさん急用が出来たらしく断られました。好都合…とは口が割けても言えませんが」
「なんだ、ハンジの実験がサボれるからか?」
「兵長に会いたかったんで」

ピタリとリヴァイのペンが止まってしまう。まずいと分かっていたが、再開出来そうにはなかった。
しかしなんとか顔を上げるのだけは留まった。

「…なんて言ったら笑われますね」

その場を取り繕うようにエレンが一言付け加える。冗談のような口ぶりだが、もちろん冗談になっていない。
リヴァイは自分を落ち着かせるため、とりあえずコーヒーに手を伸ばした。一口飲み、香りと味でごまかそうとする。
コーヒーはリヴァイ好みの味で、熱すぎず温すぎず、口当たりが良かった。

「俺、しばらくここにいますから…兵長、気にせず仕事してください」

(んなこと言われて捗るかよ…)






リヴァイの予想に反して、あれから報告書はすんなりと纏め上げられた。
エルヴィンから今までにないくらい良く出来てる報告書だ、とお墨付きになる程。

報告書を纏めていた最中、エレンは何もせず、一人ソファーに座ってじっとしていた。
リヴァイに声をかける訳でもなく、読書などをする訳でもなく。
チラリとエレンを盗み見るリヴァイの視線にも気付かず、コーヒーカップを両手で包んで、姿勢を保ったまま座っていた。

人形になったのか、と疑問に思うくらいエレンは動かなかった。

ただ、時々息を吹き返したように数回瞬きをしていた。
何か物思いに耽って考え事をしているように見えたが、心中は捉えられなかった。

普段のリヴァイからすればそんな気持ち悪い行動をする輩がその場に居れば気になって仕方がないのだが、エレンの息を潜めた存在感のせいか、存在しているのに、存在していないような。

心此処に在らず、

というより、

まるでーーーーー




「あ!リヴァイ兵長!」

エルヴィンの部屋から出て廊下を歩いていると、後ろから声がかけられる。立ち止まり振り返ってみると、金髪の女が一人ーーーーーペトラが小走りに駆けてきた。
胸元には食材の入った紙袋が抱えられている。

「お疲れ様です、報告書間に合ったみたいですね!」

ペトラが横に並ぶとリヴァイは歩みを再開する。ペトラも同じように足並みを揃えた。

「お前達の大作のおかげでエルヴィンが腰抜かしてたぞ」
「いえいえ、兵長の文才があってこそ、私達の拙い調査結果が大作になるんですよ!」

ペトラが朗らかに笑う。太陽の笑みとはこういう表情を言うのだろうな、とリヴァイは思った。
そう思うと、あの少年の笑みはどこか影があるのだから、雲間から覗く月のような微笑みなのだろう。

(…またエレンかよ)

リヴァイはほんの少しだけ、眉間のシワを深めた。


「そういえば、エレンが兵長のとこ行きませんでしたか?」

(…もうそいつの話題はいらねーよ)

と言えるわけもなく、ペトラの言葉を待った。

「エレンが用意したんですよ、あのコーヒー。最初は行くの止めたんですけどね、兵長が報告書を纏める時は一人が良いって言ってたので。でもエレンったら俺なら大丈夫です!とか自信満々で」
「…自意識過剰だな、今度絞めとくか」
「そ、そんなつもりで言ったわけじゃないので…エレンのこと怒らないでいてあげてください。……エレンって気が利きますよね。私達よりリヴァイ兵長と過ごした時間は短いはずなのに、兵長の全部を知ってるみたいな…」


首を傾げるペトラの横で、リヴァイはペトラの言葉に反応を示した。


(知るはずがない)

(なぜなら、俺もあいつの事を知らない)

(しかし、なぜだ?)

(微かな違和感が残る)

(何かが引っ掛かる)


ソファーに腰掛け、虚空を見つめていたエレンの表情。あの遠い、どこか懐かしむような横顔に、なにか意味があるのか?



「そういう態度になったのは最近からか?」
「え?あ、エレンがですか?」
「ああ。知ったような口ぶりをするのか?あいつは」
「ふふふ、兵長今更ですよ、それ」
「?」
「エレンは別に最近から変わったわけじゃないですよ。このリヴァイ班になってからずっと、兵長の事を思って行動してますよ」
「そうか」

端から見ればエレンの行動は異常には見えないのか。
尊敬故の行動に見えるのか、いや、そう見せているのか?

「私達も負けじと頑張ってるんですけど、それも兵長気づいてません?」
「…」
「…?兵長?」
「ペトラ、少し席を空ける。何かあった時はエルヴィンを頼れ、良いな?」
「は、はい!」
「あとそれと」







エレンの居場所が分かるか?

進撃[、

 

 あれからというもの、エレンとの関係に何も変化はなかった。これまで通りの上司と部下の関係そのままである。
 どうして変化がないのか、リヴァイも些か疑問であり、それなりに考え始めていた。

 結論はこうだ。

 エレンがリヴァイに告白した夜、リヴァイは飲酒中であった。(が、別に酔っていたわけではない。そもそもリヴァイはあまり酔わない体質である)

 それを見ていたエレンはもしかしたら、リヴァイは酔っていて自分の発言を覚えていないと思っている。

 リヴァイは自身の中でとりあえずそう結論づけた。

 確かにそうエレンが勘違いするのも無理はない、とリヴァイは反省してみる。
 というのも、リヴァイはエレンに対して何もしなかった。
 態度も変えなかった。
 対応も変えなかった。
 発言も変えなかった。
 唯一変えたこと、なんてものもなかった。

 そうしたのもリヴァイなりの考えがあったからである。
 告白された方が告白した相手に対して何か変化を見せるのも癪だとリヴァイは変にプライドを持ってしまったのだ。

(まあ、こうやって向こうの変化を待つこと自体、期待をしているみてぇでムカつくが)

 あと身長高い最近の若者は縮め、と呪いの言葉も付け加え、リヴァイは仕事部屋で書類に目を通す。

 ーーーーーあえてここで、リヴァイがエレン本人に対してではないが、変わったことを言うのであれば。

 ハンジに相談したことぐらいだろう。

 リヴァイからすればそれは友人に何の変哲もない相談をした程度で、変化と言えないのだが、内容が内容なので他者からすれば大きな変化と言える。

 結局の所、リヴァイはエレンが気になって気になって仕方がなかったのだ。

 それを偏に恋、と思う人もいればいない人もいる。

 リヴァイの場合は頑なに後者としているのだが。


(良い歳の野郎が未成年の野郎相手に恋だと?しかも部下。吐き気がするな、動揺でもしてんのか)

 やはり酔っていたのかもしれない、とリヴァイは乱暴に頭を掻いた。整った黒髪が乱れる事も気にせず、ただ気になるのは一人だけと思わせるように。
 目の前に広げられた書類も思うように片付けられない。先日行われた壁外調査の結果資料だ。部下達が書き起こした調査結果を読み、リヴァイがまとめ、エルヴィンに報告書として提出しなければならない。
 ちなみに期限は明日だった。

 この壁外調査にはエレンも参加した。

 巨人化能力を駆使し、エレンがどれだけ巨人として活動出来るのか調査する為である。本来ならば壁外でなくとも出来る事ではあるが、エレンが自身の能力を完璧に支配出来ているわけでない。万が一があってはならないので、危険は承知の上で、実践を強行している。火事場の馬鹿力を利用させるのも背景にある。

 どうやらエレンは巨人として活動する時間が長ければ長いほど、巨人の身体への癒着が激しくなるようだった。
 限界を知らなければ道具は上手く扱えない。
 エレンは道具ではないが、人類の希望とも言える存在を無知な状態で使うわけにもいかないし、それを理由に失うわけにもいかない。(そんな希望の存在を簡単に壁外へ出す結論に到った審議会もおかしな話だ。)

 幾らエレンの再生能力が巨人並にあるとは言え、限界がないとも限らない。

 癒着した部分をあえて切り落とした時もあったがーーーーーエレンからすればただの人体実験であり、痛みである。
 巨人の身体からエレンを文字通り剥ぎ取る際だいたいエレンの意識はないものの、時には苦痛なのだろうか、顔を歪め叫ぶ時もあった。(どちらかといえば剥ぎ取る手筈をする兵士の方がトラウマになりそうである)

 リヴァイに言わせれば痛みに耐え切れないのであれば根性から鍛え直せと言いたい所であるが、15歳の少年にしてみれば、エレンはそれなりに忍耐力はあるのだろう。
 巨人化の能力を使う度に、エレンの手や腕は血まみれになった。巨人の身体から解き放たれたエレンにその傷はないものの、噛み付き、肉を引き裂き、顔中を鮮血に染めながらも瞳に宿した火を消さず人類の為に邁進を止めないエレン。自分の従えるリヴァイ班の者達ですら、己の身体を食いちぎる事は出来なかった。
 エレンの決意の元に行われる自傷行為を見た兵士達には沸き立つものがあった。

 エレンは希望だけでなく、人々に何かを与えていた。
 個々によって違いはあるものの、確実にエレンは人々を導き、英雄へと道を進めている。



 しかし、英雄の果てにあるものは幸福なのだろうか?

 本当にエレンは人類としての英雄となるのだろうか?


(…英雄は所詮、人柱…エレンも結局)

 巨人を駆逐すると、力もないのにエレンは語った。
 巨人を目の前にし、その絶対的な恐怖を目の当たりにしたのにも関わらず、意志だけは堅かった。

 リヴァイからすれば、ただのお子様発言でしかなかった。

 それでも歩みを止めないエレンを、ーーーーーリヴァイは…





「兵長」


 声をかけられる。ハッと書類から顔を上げると、視界の隅、部屋の入口に心中のその人、エレンが立っていた。

進撃Z、

 

「友人を恋人に出来るか?ハンジ」

 ブフゥッ、とコーヒーを盛大に卓上へ吹き出しそうになるのを(ここはリヴァイの部屋ここはリヴァイの部屋リヴァイのリヴァイの)という魔法の言葉でハンジは押さえ込んだ。が、口からは出なかったが残念ながらレディらしからぬ鼻から吹き出すという、結局避けようのないリヴァイの拳を正面からハンジは受け取る羽目となった。

 いや、これはリヴァイあんたのせいだよ、と言えるわけもなく、歪む視界(眼鏡…替えたばっかなのに)の中、机を丁寧に拭く。

「それで、なんだっけ?」

 リヴァイの満足した顔を確認した後、再度発言を促す。

「お前は友人を恋人に出来るかときいたんだ」

 リヴァイって母国語喋れたんだ、と意味不明な呟きをハンジは漏らした。そこに突き刺さる、リヴァイの眼光。

「てめぇ、今喋ってるこの言語はなんだってんだ、躾んぞ」
「あ、うん、ごめん。なんかちょっと混乱してるわ私」

 笑えるシーンのはずだが、ハンジは上手く笑えずにいた。それなりに長くリヴァイと行動を共にして、だいたいの性格を把握してるつもりだったハンジではあるが、しかしこれまでにリヴァイの口から聞いたことのない単語には理解する時間を有する。
 ましてや、この目の前にいる人類最強からの発言だ。
 確かにリヴァイは人であるし、人類最強という肩書きがあろうが、感情は持ち合わせている。好みもあるだろう、食べ物でも、もちろん人に対しても。
 だが、やはりリヴァイはリヴァイであり、こいつの血は緑色とか考えていたハンジである。つまり形は人だが中身は人外。

「…そういう色恋沙汰、リヴァイ話すんだね」
「……」

 何故か押し黙るリヴァイにおや?とハンジは首を傾げた。自分のふざけた話でも、どんな形であれ応答するのがリヴァイだった。

(リヴァイって優しいんだよね、本当。話聞いてくれるし、潔癖なのに案外人間好きだし)

 そういうギャップに骨抜きな女子達が周りにいることをリヴァイは気づいているのだろうか。
それともついに気づいたから、こんなことを聞いているのだろうか?

(もしかして、ペトラ…のこと?)

 ふーむ、ならば手を討つしかない、ハンジは腕を組み、眼鏡の位置を直した。

「そうだなあ、友人…うーん、敵に恋したことはあるかなあ………巨」
「お前、それ以上言ったら首を飛ばす」
「うんそうだよね」

 そう言われると思ってた、とここでやっとハンジは頬を緩める。とりあえずいつものリヴァイであるのは間違いない。

「ごめんって、もうはぐらかしたりしないからさ。…あるよ、友人を恋人…にまでは出来なかったけど、好きになったこと」
「ほぅ」

 リヴァイが少し驚いた表情を見せる。こんな巨人馬鹿でも人間相手に恋愛なんてするのか、とあからさまに顔に出している。その言葉をそっくりそのまま返したいハンジであった。

「興味あるな」
「そりゃどーも。こんな話をリヴァイにするなんてね、気持ち悪い」
「それで?そいつとはどうなったんだ」
「やだなあ、野暮なこと聞いて…リヴァイ性格悪いよ…」
「他人の経験を自身の糧にするのは論理的だと思うが」
「分かったから…話すけど、そんな期待するほどの話じゃないよ」

 ソファーの背もたれに深目に身を沈めると、ハンジは少しだけ目を伏せた。頭の片隅に隠していた記憶の蓋を開き、それを声に乗せる。
こんなはずじゃなかった、心の中で悔しがってみた。

「…いつ頃からかは、もう思い出せないくらい前だけど…気が合うから友人になった男がいたんだ」

 脳裏に浮かぶその男。ハンジは脳内で自分に向き合わせてみる。
思い出せないなんて嘘だった。
 全部覚えている。

「変なやつって思ってたし、友達以上の感情を持つなんて思ってなかった。けど、意外な行動というか、似つかわしくない行動を見たというか…そんなギャップに、射抜かれちゃったのかなぁ」

 誰も愛さないと思っていたあの男が、不意に見せた些細な情。
 彼があの時どんな気持ちでいたかは分からないが、しかしハンジは見たのだった。
 それはこれまでのハンジの考え全てをひっくり返した。

 呆れるくらい、それから暫くは恋に溺れた。あの高鳴りに酔いしれた。
 いつまでも覚めないと思っていた魔法は、やはり夢のように終わってしまったのだけど。

「でも、諦めた。…私だけの存在にしたらいけないって思ったんだ。彼はきっと皆の彼でなきゃいけないって…だから諦めた。まあ、私が告白した所でなーんにも発展しなかっただろうけど!」

 どうせ私達は兵士なのだから。
 いつ死ぬかも分からない世界に、そんな感情は必要ない。
 そう割り切るしかなかった。
 言い聞かせて、蓋をしたんだ。

 ハンジは笑う、若かったなーと苦笑して、冷めたコーヒーを一口。
 ああ、こんな風に苦い気持ちだな、今も。




「ハンジ」

 同じようにコーヒーを口にしたリヴァイが申し訳なさそうに眉を寄せていた。

「確かに…野暮なことをきいたみたいだな、俺は。すまなかった」
「ま、真面目に謝らないでよ、余計恥ずかしいじゃん…」

 頬に赤みが増したハンジが顔の前で壮大に手を振る。

「と、とにかく、別に友達だった奴に恋するなんてよくあることって言いたかっただけだから!それに」

 そうだ、ここで伏線を張らなければとハンジは思い出す。昔の記憶に再び、今度は開くことのないようしっかりと鍵をかけて、口元には笑みを浮かべて。

「友達じゃなくても、部下に対してもあるんじゃない?死にそうな体験を共にして、案外生き残ったりして、芽生える運命的なもの?とか。人間って単純だよ?」
「…そんなもんか」
「そーそー!だから、ね、リヴァイ、別に臆病になる必要ないんじゃないかな?何があったのかは分からないけど、上手くいくって!」

(そしてペトラ頑張れ!)

 グッとリヴァイに対しても、初々しい後輩に対しても勇気づけるようにガッツポーズを決めたハンジだったが、ここでハンジは大きな過ちを犯していることに気づいていない。
 その過ちに気づいているのは、この場ではただ一人、リヴァイだけであった。

「リヴァイ、今の貴方なら分からないだろうけど、気づくよ、いずれ。その存在によって、更に貴方は強くなる。今よりもっと、たくさんの人を守れるようになるよ。」

 熱く語りはじめたハンジを抑えることも出来ず。リヴァイは頭を抱えた。

(…やばいな、これは…)

 とんでもない過去を暴露させ、恥ずかしいであろう気持ちを隠しリヴァイを勇気付け後押ししたハンジ。そんな彼女を無下に扱うことなんて出来ず、リヴァイは「参考にさせてもらう」としか言えなかった。

 何と言っても、リヴァイの言う友人というのは異性ではなく、同性なのだから。


(…どうしようもないな)


 なんだか気まずくなり、その後仕事の簡単な話をし、リヴァイは足早に部屋を後にした。


「早速会いたくなるなんて!リヴァイってほんと可愛いなあ〜」

 真実を知らず、懸命に本人の前で一代告白をした、ハンジを残して。
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