8/5 18:19拍手コメントよりリクエスト。リク詳細は追記にて。
♀ユーリですので苦手な方は閲覧にはご注意下さい。
どうしても欲しいものがあった。
それは子供の頃から手を伸ばせばいつでも届く場所にあって、抱き締めることだって出来て、自分のものだと思っていた。
それが間違いだったと、そう思っていたのは自分だけなんだと気付いた時に味わった喪失感といったら凄まじく、何故もっと強く求めなかったのかと後悔した。
だからもう、そんな思いを味わいたくはなかった。あの時は、強く求めれば逃げてしまったかもしれない。そう思って踏み出せなかったが、今は違う。
ずっと一緒にいたい。
傍にいて、触れて、感じたい。
例え逃げられても、どこまでだって追いかけて捕まえてみせる。そう思えば不思議と気分が楽になって、僕はごく自然にユーリの事を抱き寄せると、その唇に自分のそれを重ねていた。
驚いた彼女が、何度も僕の背中を叩く。無視して更に深く口づけようとしたら、髪の毛を引っ張られてしまった。がくん、と後ろに首を持って行かれてさすがに唇が離れてしまう。
もう一度顔を近づけて、見つめた彼女の顔は真っ赤だった。
「いきなり、何すんだ……!!」
僕よりも少し低い場所から見上げてくる、薄紫をした二つの輝き。
少し潤んでいるように見えるその瞳にはきらきらと光が散っていて、さっきまで二人で見上げていた満天の夜空のようだと思った。
…いや、それより何倍も綺麗だ。
じっと見ていたら目を逸らされてしまって、僕は苦笑いを浮かべた。
「どうしたの、ユーリ。何で目を逸らすの」
「何でって、おまえが変なことして、ずっと見てるから…」
「変なことって、何」
「そ、れは」
言葉に詰まって俯いたユーリを追うようにして額にキスをすると、腕の中のユーリが小さく震えた。
(…こんなに、細かったんだ…)
たくさんのものを背負った彼女の負担になりたくなかった。だから、想いを伝えるなら全て終わってからにしよう、と思っていた。
生まれ育った下町に戻って来ても、僕らはすぐにそれぞれの場所に帰る気になれなかった。
広場の噴水の縁に並んで腰掛け、遮るものの無くなった星空をただ黙って見上げるユーリの横顔はとても綺麗で……。瞬きすら忘れてその表情に見入っていると、ふいにユーリが僕を見て笑った。
「…何だよ、人の顔ジロジロ見て」
なんか付いてるか?と言って首を傾げた拍子に長い髪がさらりと滑り落ちて、その髪をかき上げる仕草や指先の動きにまで目を奪われ、心臓が跳ね上がる。
ユーリはどことなく不安そうに眉を寄せ、少しだけ僕との距離を詰めた。
「…フレン?」
「……っ!」
顔が赤くなっていたと思う。僅かな灯りしかない今、そんなことはわからないかもしれないけど、それに気付かれるのが恥ずかしくてごまかすように僕は空を見上げて言った。
「…綺麗だな、と思って」
「…ああ、そうだな」
ユーリも空を見上げていた。
(僕が言ってるのは、空のことじゃないんだ)
でも今はもう少しだけ、この穏やかな時間を共に過ごしていたかった。だから僕はその言葉を飲み込んで、ユーリと同じように星の瞬きを数えていた。
ぽつり、ぽつりと旅の想い出を語り合いながら、僕は心の中で徐々に大きくなる不安に押し潰されそうになっていた。
この話が終わった時、旅も終わる。
そうしたら僕とユーリはまた、別々の道を歩む事になる。それはもう既に決まっている事で、どうしようもない事だ。お互いが選んだ生き方を貫くことで、僕らはそれぞれの責任を果たすと決めた。
だけど、僕はユーリに傍にいて欲しい。道が違っても選ぶ先が同じ限り、僕らはいつでも会う事ができる。そんなことは分かっていたけど、それでも僕は、僕が思うのと同じようにユーリも思ってくれているという『証』が欲しかった。
僕はユーリと、ずっと一緒にいたい。
話すこともなくなって、部屋まで彼女を送って、じゃあな、と軽く笑ったユーリの腕を取っていた。
もう、離れたくない。逃がしてやる事なんかできない。
抱き寄せたユーリに唇を重ね、腕の中で小さく震える彼女に想いを告げると、弾かれたように顔を上げたユーリと視線が絡み合う。
もう一度、今度こそ深く口づけると、ユーリの両手が縋るように僕の背中に回された。
一瞬息を呑んで、でも強く抱き返してもユーリは抵抗しなかった。そのまま彼女を抱き上げ、部屋に入ってベッドに降ろすと、長い黒髪が散らばるさまがまるで月光を受けて揺れる波間のようだと思った。
吸い込まれるようにして唇を重ねたら、今度こそもう、抑えられなかった。
やっと想いが通じたんだと思っていた。彼女も僕と同じ気持ちでいてくれるんだと、この時は信じて疑わなかった。
「…随分とお疲れみたいだな、騎士団長様?」
「…ユーリ!」
僕は窓から姿を現したユーリの元に駆け寄ると、両手を伸ばして彼女の身体を抱き止めた。彼女が僕の部屋を訪れるのは久し振りだったから嬉しくて、彼女が窓枠から降りるのすら待ちきれなかったんだ。
「ちょ…おい!危ねえだろ!」
「ユーリ、会いたかった…」
「……フレン」
やれやれ、と言いながらも僕を抱き返し、背中を優しく撫でる掌が暖かい。そのままキスをしていつものように抱き上げようとしたら、頬をぱちん、と叩かれてしまった。
「…痛いよ、ユーリ」
「嘘つけ。ほら、離せよ」
「どうして?いつもならすぐ…」
「っ、いいから離せってば!」
耳まで赤くなったユーリに押し返されて、仕方なく腕を解くとユーリは窓枠に腰掛けて、はあ、と小さく息を吐いた。
…疲れているんだろうか。
「ユーリ、どうした?…大丈夫かい?」
「んーまあ…帰って来たばっかで少し疲れてるけどな」
「そうか…。ギルド、順調みたいだな。でもあまり無理はしないでくれ」
「…そりゃこっちの台詞だよ」
月を背にしているせいで表情はよく見えないが、ユーリが僕を睨んでいるのが分かった。
「おまえこそ、ちゃんと休んでるのか?忙しいからって無理して倒れたら元も子もないだろ」
何か問題があるのか、と言われて、僕は現状をユーリに話していた。隠そうとしてもすぐばれるから、素直に話したほうが結果的には良い事が多かった。
だけど今日はなんだかユーリの反応がいつもと違う。話を聞いているうちにどんどん俯いて…最後には僕から顔を逸らして黙り込んでしまった。いつもなら最後まで話を聞いて、何かしら僕に言ってくれるのに。
…それ程までに疲れていたんだろうか。それなのに僕はこんな、愚痴みたいな話をして…
「…ユーリ、ごめん」
ユーリが顔を上げた。
「え…何が」
「その…ちょっと最近、色々あったものだから。つい話がしつこくなってしまったね。こんな話ばかり聞かせて、本当にごめん」
「…ん…。フレン、相変わらず苦労してんだな」
「そんな事………!」
ユーリがふわりと窓から下りて、僕に抱きついた。ユーリはあまりこんな事をしないから、僕は少し慌てながらも彼女を抱き締めていた。
ユーリは僕の胸に顔を埋めて動かない。…何だか様子がおかしかった。
「ユーリ、君のほうこそ何かあったのか…?」
「別に。やっぱり久し振りだからこうしたいだけ」
「……本当に?ユーリ、隠し事は…」
「フレン」
ユーリが伸び上がるようにして顔を近付け、唇が触れる。本当に…ユーリからこんな事をするのは珍しい。
「ん……っ」
「っふ……なあ、フレン」
「何?ユーリ」
「やっぱり…しようぜ」
熱の篭った囁きに逆らえる筈もなく、僕はユーリの身体を貪るように抱いていた。…実際、飢えていたんだ。
ユーリはずっと僕にしがみつきながら僕の名前を呼んでいて、僕も応えるように何度もユーリを呼んで、このまま溶けて一つになるんじゃないかと思う程に強く抱き合って眠った。
翌朝、僕が目を覚ました時に既にユーリの姿はなかった。
昨晩は様子がおかしかったから、落ち着いて話を聞いてみようと思っていたのに。
ユーリが僕より早く起きているのも珍しい事だった。彼女が出て行った事に気がつかない程に寝入っていたのかと思うと少し情けない気分だったが、それよりも僕は何故か、妙な胸騒ぎを覚えていた。
(……ユーリ……)
彼女が出て行った筈の窓は閉じられ、柔らかな朝日が差し込んでいる。
今ここにいない彼女のことを思い起こさせるようなものは何もないとさえ言えるほどに晴れ渡る空は、その澄んだ色とは裏腹に僕の胸に言い知れない不安の影を落とすばかりだった。
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続く