気分が重い。

身体も重い。

正直、午後の訓練なんかすっぽかしたくてしょうがない。

…だが、そんなわけにはいかない。
これは仕事だ。ギルドとして正式に依頼を受けた、立派な仕事なんだからな。
オレが勝手なことをして、首領に迷惑かけるわけにいかないだろ?

…違う。ほんとは分かってるんだ。
フレンのことが気になって仕方ない。
別に今更、あいつに対する気持ちがどうとか、そんなことじゃない。
ただ、さっきのあいつの態度が気になるだけだ。

フレンはオレに、自分に対する態度が『演技』なのか、と聞いた。…なんだか、今にも泣きそうな表情だった。
それなのに最後には、まだ『役』を続けるんだろう、これから先、何かあったらまた『演じて』くれ、とか言いやがった。

一体どういう意味なんだ。

…恋人『役』のままじゃ嫌だと言ったのはあいつだ。
オレは…それを受け入れたつもりだった。

『何かあったら』?
その必要が本当にあるんなら、またこうして女装だろうがなんだろうがやってやる。
嫌でたまらないのは変わらないが、一度こうして出入りしてるわけだし、正体がバレない限りは再びこの姿で活動することは可能だろう。

『役』を演じるのはその時だけか?それとも、依頼を終えても恋人を『演じる』のか?…誰に対して?

あいつの思考が理解できないのなんてしょっちゅうだが、もう、訳がわからなかった。

…なんだか、今頃になって右腕の痛みまで気になるような気すらしてきた。
しょうがねえな、さっさと医務室、行くか…。









医務室前で、見知った顔とばったり出会った。

そいつはオレが指導してる新人共のうちの一人で、先日の訓練中に怪我をした。
そう、例の女に殴られて、やけに怯えていた、あいつだ。そんなに酷い怪我だったのか…?


「あ、教官!お疲れ様です!」

意外に元気そうだ。今は特に怯えた様子もない。
左のこめかみに、小さな絆創膏が貼られていた。

「お疲れ。…怪我、大丈夫か?」

「はい!…ありがとうございます」

「いや、こっちがちゃんと見てなかったのが悪い。すまなかった」

「い…いいえ、そんな…」

何故か俯いてしまったその顔は、真っ赤になっている。


……なんでだ。
オレ、普通に話しただけだぞ。
まさか男だってバレて……いや、それもおかしい。それなら騒ぎになってもおかしくないし、相手が男だから赤くなるってのもなんか違うだろ。

まさか妙な話じゃないだろうとは思うが……普通に女だと思っててこの態度、なのか…?


「…あのさ」

「は、はい?」

「なんでそんな、赤くなったりするんだ?」

「ええっ!?」

「……いや、え、ってなあ…」

「あ、すみません!…あの、私、教官のこと、尊敬してます」

「…はあ。ありがとな」

「初めてお見掛けした時から、素敵な方だなあ、って思って…」

…これで普通にオレが『男』だったら、愛の告白でもされんのかと思うところだが。

「先日の、団長とのお手合わせもとても素敵で…」

素敵?…女の感性はよくわかんねえな。

「教官のような強い女性に、憧れるんです…!」

…喜ぶところなのか、これ……。

とりあえず、憧れの相手を目の前にして恥ずかしいから赤くなるのか。
まあ、フレンやらレイヴンやらを前にこうなる野郎もいる…ような。

恋愛感情じゃない…よな、多分。



「そ…そうか」

それだけ言うのが精一杯で、どうしたもんかと彼女を見下ろしていたら、急に不安そうな顔でオレを見上げてきた。

「あの…、フレン団長から、何かお話はありませんでしたか?」

「話?」

まさかさっきまでオレ達がしていた話のことを言っている筈もない。だとすれば例の嘆願書、か。

「…なんかフレンに渡したらしいな」

「あ、はい。…あの、それで…」

「悪いが、騎士団に残るつもりはない。訓練が終了するまでだ。それはフレンも理解してる。この話は却下、だな。他の連中にもそう伝えるつもりだ」

はっきり言ってやると、目の前の女はあからさまに残念な様子で、がっくりと肩を落とした。

「そう、ですか…」

「そもそも、お前達だけで隊を編成ってのが無理な話だ。訓練が終了したら、それぞれ他の隊に配属されることになってるんだからな」

「…そうですよね…やっぱり、無理ですよね」

やっぱり?…割と無茶な嘆願書出しといて、随分と聞き分けがいいな。

「…ちょっと聞きたいんだが」

「はい、なんでしょうか」

「なんでそんな、嘆願書なんか出そうって話になったんだ」

「それは…みんな、教官に残ってもらいたいと思ったから…」

「誰が言い出したんだ?」

「誰…そうですね、最終的に、中心になっていたのは……」


告げられた名前に少しばかり驚くと同時に、どこかで納得する。

普段大人しい……いや、それももう、本性なのかフリなのか分からないが…、とにかく、大人しく見えるくせして、随分と大胆な行動に出たもんだ。

そんなにオレのことが気に入ったか、あの女。

誰かって?…言うまでもない、試験を受けずに入団して、目の前のこいつを殴った張本人でもある、あいつだよ。



押し黙るオレの様子に、目の前のこいつは再び不安そうに見上げてきた。

「あの…どうかしましたか、教官」

「何でもない。…おまえ、嫌だと思わなかったのか?自分を殴ったような奴にそんな話、任せるの」

「それは…まあ…。でも彼女が、自分に任せてくれれば必ずこの話を通してみせる、と熱心に言うものですから」

「…どういう事だ、それは。通ってないだろ、結局」

「そう、ですね?ええと…すみません、私もよく分からないです」

「あの嘆願書、誰がフレンに渡したか分かるか?」

あの女が直接渡したわけじゃない筈だ。それなら必ず、フレンから名前が出て来るに違いない。
あいつは何も言ってなかった。

「すみません、それも私には…。おそらく、お手合わせの後で誰かがお渡ししたんだと思いますが」

フレンに直接手渡ししたとは限らないが、とりあえず誰が嘆願書を出したのか、確かめといたほうが良さそうだな。
必ず通す、というのが引っ掛かる。何故そんなことが言えたんだ、あの女は。




その時、時刻を告げる鐘の音が鳴り響いた。

…やば、これ午後一番の鐘じゃねえか。
少ししたらもう一度、鐘が鳴る。そしたら午後からの職務開始、つまりオレ達は訓練開始だ。

目の前のこいつは、午前中の座学を終えて休憩中に医務室に来たんだな。
そんなの考えてみりゃ当たり前なんだが、オレの方はまだ何の準備もできてない。


「教官、午後の訓練は…」

「悪い、まだ確認してない。…多分通常の訓練になるだろうから、すまないが他の連中にもそう伝えといてくれないか。確認次第すぐ行くから」

「分かりました。練兵場で待機でよろしいですか?」

「ああ、そうしてくれ」


一礼して去って行く姿を見送り、オレは今の話を頭の中でまとめる。

とにかく、あの女に直接話を聞く必要があるな。
あまり積極的に接触したくないが、そうも言ってられない。
こっちの都合は感づかれないようにしないと厄介な事になりそうだ。
どうやって話を持っていくかな…。



…そういや結局、自分の腕の治療、するヒマなかったな。
昼メシも食ってねえし、なんだかマジでくたびれてくる。
ここ何日か、一日のうちにあれこれありすぎなんだよ。

とりあえず、目の前のことから一つずつなんとかするしかないか。



オレは一つ深呼吸して気合いを入れ直すと、訓練内容の確認をする為にソディアの元へ向かうことにした。




ーーーーー
続く
▼追記