卒業式以来放置してたことに昨日気付きました。

21日に謝恩会のあと、22日にギャラリーの研修。
で、23日は卒業式から謝恩会にかけての疲れをとるため爆睡。
24、25日は六本木アートナイトに行き大学の友人らとオールで六本木の町を闊歩し、26日には高校の友人らと事変解散ライブのセトリカラオケと飲み。
27日はギャラリーの研修。

卒業式以前の腐れニートな生活とは一変してリア充してました。



最近、高校関係の人と居酒屋に行くと大体恋愛沙汰の話になる。
先輩ら然り、友人ら然り。

そういうのを聞くのは構わないんだけど、
「サイカの浮いた話をまったく聞かないんだけど何で?」
「何で彼氏作らないの?」
とか水を向けられるとうんざりする。
そういう質問をしてくる奴とは何度か同じやりとりをしている。


この質問によく似たパターンの
「どうして美術の勉強してるのに絵を描かないの?」
っていうのも聞かれる。
これはよく作るやつに聞かれるけど、逆に何故あなたは絵を描いているのにそんなに美術史に疎いのって聞き返してやろうかと思う。
関係を悪くしたいわけじゃないから黙っとくけど。


この手の質問て、すごく不思議。
自分のいる世界が当然だと思い込んでる。

作り手は作らない奴を見て、どうして作らないのかと思うらしい。
最初のもそうで、女なら当然彼氏を作るだろう、作りたがるだろうという前提に立っている。

私からしたらこれらは
「何でワールドカップ見てないの?」
と同じレベルの愚問である。
誰もがサッカーファンだと思うなよ、と。
つまりこれらの質問には全部同じ回答で
「それをする必要を感じないから」


で、面倒だから適当にへらへらしてると
「昔なんかあったんだろ」
とか言われる。
興味本位で首突っ込んでくるなうっとうしい。

何もなかったわけではないが、特に何かがあったわけではない。
単に他人に対して執着するのが面倒になっただけで。
以前私の恋人というポジションにいたのが女だから言わないけど。
言ったらより面倒臭くなるから。


そう言ってくる奴らの恋愛観とやらを聞いていると薄ら寒くて半笑いになってしまう。
時間とコストを割いてまで価値のある人間が彼氏なわけね。
いねえよそんな奴。

そうすると、まだそういう人に出会ってないとか言われて興醒め。
出たよ運命論。
少女漫画かよ。
それだけの価値のある人間関係を築けと言われたほうがよっぽど腑に落ちる。
でもそういわれても、友達で十分だろと思う。


特定の人物を大切にして彼氏という存在にしたてあげて、一体何のメリットがあるのか納得のいく説明をされたことがない。
労働に対する対価が不明すぎて、ますます彼氏を作るという労働をする気にならない。
私にしたら奴らとの会話は異文化コミュニケーションで、かつ私がマイノリティでいつも変な奴だと言われる。
違う国に単身乗り込んだ気分。

奴らへの理解を深めるため、あるいは奴らがまた懲りもせず同じ質問をしてきたときの傾向と対策のため、考えてみる。
そういえば私は元カノを大切にしていたと。
でもそれは思春期特有の疎外感のなかで自分を優しく大切に扱ってくれたからであり、その対価に私は彼女に対して優しくしていた。

じゃあ同じようなことが起きたらと考えたところで、疎外感の欠けらもない現在、私を大切にする奴が現われたら薄気味悪くて仕方ないだろう。
あるいは、私は何も優しくされる対価を払ってないのだから現われないだろう。
彼女が私に優しかったのは、彼女にも私しか居なかったからだ。
それが見えなかった当時、何度も気味が悪いと感じた。


話を聞いていると、あるいは実体験として、とても良いものとは思えない。
自身が一人で立てないときに必要な松葉杖のような、ないほうが良いものじゃないのか。
私はどこも怪我してないから松葉杖は要らないし、今後とも松葉杖のお世話になりたくない。
ましてや時間と維持費がかかる松葉杖だなんて。


こうやって理詰めで反論すると
「そんな難しく考えなくても」
「人間として自然な感情だから」
とか失礼なこと言ってくる。

難しく考えてるのは君らのする愚問に対してどうしたら回答できるか考えてるからで、後者に至っては暗に私が不自然とでも言いたいのか。

私は1人の特別視された人間より、100人の友人の方が価値があると思うよ。
ただそれだけの価値観の相違をわかってもらえない。
言葉を砕いて理解を求める私の健気さを、誰か評価しなよ。