本当に私は浅はかだと思うことが最近多い。
性別を気にしない(あるいは過度に気にしている)のは私の性別観であって、皆が皆そうではないと知っている。
そのくせ会話ではそういうことをポーンと忘れてしまう。
最近よくやらかすのは、就職して地方に行く友達に、一人暮らしなんだしそっちに旅行に行ったら宿にさせてよ、とか。
相手がいちいち男だとか女だとか考えて接してないから、うっかり男相手にも言ってしまったり。
で、相手にちょっと苦笑いされたり、周りの女の子が引いた目で私を見てたりして、やらかしたって気付く。
あの引いた目がつらい。
別に他意はないんだけど、見ようによってはこのクソビッチって話だろう。
前に塾講バイトの連中と雑魚寝で泊まりに行ったりしたら友達に怒られた。
大学の嫌われっ子が男連中と旅行に行ってクソビッチと陰口叩かれてた。
まぁ、大学の嫌われっ子は男がいないと生きていけないタイプの女だから、きっと相手が違う性別だと認識しての行動だろうけど。
行動だけ見れば私だって同じようなことしてるわけで。
仲いい子は、そうやって私が「泊めてよー」とか言ったときにそれとなくフォローしてくれたり、あるいはまたやらかしてるって思ってスルーしたりするけど。
じゃあ逆に、私にそうやって言われた側の私と性別の違う友達は、どう思うんだろう。
だって、別にそこまで仲良くなくても、言うじゃん。
社交辞令的な「遊ぼうよ」と同じで、例えば相手が大阪で就職なら「大阪行ったときは世話してよ」みたいなことは。
実際大阪に行く予定はないし、本当に行ったとして世話になるかはそのときにならなきゃわからないし。
これが女の子同士なら、仲がさほど良くなくても「いいね、おいでよ」って社交辞令の応酬で済むんだけど。
うっかりそこまで仲が良くない男の友達に言ってしまったときのやらかした感。
「いいね、おいでよ」って社交辞令だろうと多分言いづらいんだろうなって。
これがまさについさっきやらかしたことなんだけど。
猛省してる。
なんか、でも。
私が身勝手なことは重々承知で言うんだけど。
性別を分けることは馬鹿らしいと思っているし、それが正しいとさえ割と本気で思っている私が、何で世間様の馬鹿げた価値観に合わせなきゃいけないのよって思わなくもない。
世間様の馬鹿げた価値観に合わせるのが社会性なんだろうけども。
いいじゃん、どうだって。
私がやらかしてるから、なんなのって。
思うけど。
なんかもう面倒だから全員去勢しろよ。
マジ無理超怖い。
とりあえず最近私が恐れているお客さんが毎日来る。
もう私はその人の存在だけでちょっと具合が悪くなる。
気持ち悪くなる。
日々悩まされてるし、今日も来るんじゃと思うと恐ろしい。
あと金持って来い。
そこでどうしても葛藤する。
何故水しか飲まないお客に時間を割かねばならんのか。
食事しに来るお客さんのための準備が出来ないとか。
なんなの。
最近はずっとパニックを起こしてないけど、起こしているか起こしていないかではなく、起こすかもしれないところが怖い。
引っ張られるんじゃないかって毎日危惧してる。
なんか疲れちゃった。
今月いっぱいで辞めたいんだけど、流石に急すぎて無理だろうから、7月いっぱいで辞めたいな。
正直今すぐにでも辞めたい。
ほんとに、ほんとに、こわいんだ。