お話上げるのも久しぶり過ぎる笑
今回から本文は【追記】のほうに上げていくことにします。PC閲覧モードにしたらワンクッションなくなっちゃったので、エロじゃなくてもなんか恥ずかしいので…w 支部のキャプションみたいなものだと思って下さい。
ゲームしてて、なんでユーリはフレンの料理のアレンジを強く止めないのかなって思ってました。もっと怒りそうなのに、と。
そのあたりを考えているうちに、「一つぐらい勝っておきたいものがある」んじゃないかと思ったのがまず最初でした。何やっても勝てなかった、って言うユーリは別にフレンに敵対心があるわけじゃなく、勝てないと諦めてるわけでもなく、ほんとにすごいやつだなってある意味尊敬してるんだと思うんだけど、でもやっぱり同い年の幼馴染みに対して何かひとつぐらい自分のほうができると思えるものがあってもいいんじゃないか、って。それが「料理」って、めちゃくちゃかわいいじゃん…!!と思ってたんですよね、数年前に。だからアレンジを本気で止めさせないのかな、と。周りからしたらすごい迷惑だけど笑
で、アレンジを止めない理由を考えてたら、そもそもなんでフレンがアレンジするようになったのかな、と思ったんです。レシピ通りに作ればいいのに、ヘンなアレンジするっていうのはなんでかなと。それも、もしかしたらまだフレンがアレンジをすることをしなかった頃にユーリが「おまえもやってみれば」みたいなこと言ったりしたせいだったら面白いな?って。
勝っておきたいものがある&元々自分のせい、っていう理由があるせいで、フレンのアレンジを強く止めないし、またその理由を仲間にも知られたくなくてあまり細かい話しないんじゃないか。
そう思って、SS書いてたんです。
が笑
「断罪者の系譜」で、フレンが料理のアレンジするようになったのはユーリのアドバイスのせいだったっていうのがほんとに書かれていたのを読んだ時はもう爆笑しつつ「ですよね!?!??!?wwww」ってなって、自分の予想の正確さにヤッター!と思いながらも、これはこの話ボツにするしかねえなって笑
系譜発売前にも予想の話はここの日記に書いてたし友達にも話してたんですが、まあさっさと書いとけばよかったと思ったけど公式と丸かぶりの話を上げる勇気はさすがになかったので…。その時点でほぼ書き終わってたんですが、お蔵入りに。
でもやっぱり読み返したらもったいなくて、それならといっそ系譜の設定で書き直しました。なんでアレンジを止めさせないのか、の部分については「こうだったらいいな」がそのままです。それ以外は系譜の設定で、ユーリの料理観というか、なんかそういう話です。
いろいろめんどくさそうなので支部には上げませんが、長々と説明したのはそういう理由があったからです。だって説明しないとただのパクリって思われる!!w
でも想像してたことが実際そうだった、ってなるのは嬉しいですね。
取り立てて料理をすることが好きなわけではなかった。
むしろ、どちらかといえば嫌いであったと思う。料理をすること、すなわち生きるために必要だから食事を作る、ということは一つの作業でしかなく、与えられた役割であったから仕方なくやっていただけだった。
――いや、生きるために必要というのは少々間違っているのかもしれない。生命維持のためだけならば何も手の込んだ料理を作って食べる必要はないのだ。食材をそのまま摂取するだけでいい。そんなことを、仲間の誰かも言っていた。火をおこしたり、道具を用意したり……なんといっても料理というものは面倒なのだ。
だが、そのまま食べることができるものだけ食べて生きていけるほど世の中は甘くはない。だから、加熱したり骨を除いたり、他の何かと混ぜて調味を施したりという手間が必要になる。しかしそうやって手間暇かけて出来上がったものが必ずしも美味いとは限らないのが哀しいところで、自分なりに奮闘してせっかく作った料理がなかなか減らないのを横目に、自らの皿を空けるために口を動かし続けるのは全くもって疲れることであった。味について文句を言うことができる状況ではなかったのだが、なんといっても子供というのは正直なのだ。表情を見ればすぐにわかる。
大人が作ってくれた食事を食べる時もそういつも特段の感慨があったわけではないが、食べられないほど不味いものが出たこともない。乏しい食料で工夫をし、それなりのものを食べさせてくれていたのだと気付いたのは自分が初めて料理をした時だ。教えられた通りに作ったはずの料理は、食べたことのある味とは程遠い出来だった。
食事にありつけることに感謝し、料理をすることの必要性を理解はした。だがそれでもまだ、料理そのものが楽しいと思えるようになったわけではなかった。
日々の労働を終え、くたくたになって帰っても、当番であれば更に皆の食事の用意をしなければならない。自分以外の当番の者と共にお互いの持てる技術を総動員して、少しずつ手際もよくなり味も向上していったが、料理をすることに楽しみを見出すまでには至らない。あくまでも、それはただの『作業』であり、『仕事』であるにすぎなかった。誰かがやってくれるのならばそれが一番だと思っていた。
料理をするのは大変だったし、時に不愉快な思いもしたりはしたが、同じ境遇の――なんらかの事情により身寄りがいない――仲間と揃って囲む食卓そのものは楽しかったと思う。あまり無駄話を続けたり、行儀が悪ければ面倒を見てくれていた大人から拳骨が飛んでくることはあったものの、それがなければろくに教育を受けたわけでもない下町のみなしごである自分らに、最低限の礼儀作法が身に付くことはなかったのだろう。多くの人間が『当たり前』のこととして享受していることは、下町に暮らすものにとってはそうではない場合が少なくなかった。
こんな話をしていると、自分はさぞかし料理が苦手で下手な人間だと思われるかもしれない。しかしそれはあくまでも子供の頃の話で、今ではそれなりにまともなものを作ることができるようになった。味にも自信がある。その自信がひとりよがりではないことは、仲間たちが保証してくれることだろう。
自分の作った食事を美味いと言って食べてくれる人がいることは、それまでただの『作業』でしかなかった料理というものに対する姿勢を大きく変えた。平たく言えば、料理をすることが楽しくなったのだ。大好きだとか趣味だとまでは言わないが、『嫌いじゃない』――それは、間違いない。
ではなぜ、そんな心境の変化が起きたのか。理由はひとえに、幼馴染みの存在があったからに他ならなかった。
幼馴染みはなんでもそつなくこなす器用なやつだった。細かいことを語り始めると長くなりすぎるので割愛するが、とりあえず今はその器用さが料理にもいかんなく発揮されたということだけ説明しておく。
同じ食材、同じ調味料、同じ道具を使っているはずなのに、幼馴染みの作る料理は自分たちの作るそれとは別次元の美味さだった。彼が初めて作った料理を食べた時、改めて『こいつはとんでもないな』と思ったものだ。なにせ、それまで特に料理をしたことなどないと彼は言ったのだ。母親の手伝いをする中で見覚えた通りに作っているだけだと聞かされ、素直に驚嘆した。同じようにやろうと思ったところで、自分にはできないことだったからだ。
教えられた通りに作っているつもりでも、同じ味にならないことは身にしみていた。にもかかわらず、彼は不思議そうに首を傾げるだけだった。レシピがあるのだから、その通りに作れば誰が作っても同じものにしかならないだろうと当然のことのように言われて腹も立たなかったのは、あまりにも彼の技量が飛び抜けているからだろうと思うしかなかったからなのかもしれない。
幼馴染みが料理当番の輪に加わり、仲間と囲む食卓に楽しみが生まれた。こいつが当番の時の食事は美味いと思えば、その日を心待ちにすることで乗り越えられる労働もあった――と言うのは、少々大げさにすぎるだろうか。だが、一日の終わりに待っている食事が美味いことは明日への確かな活力になるのだ。栄養面では他の誰かが作った料理と変わらなかったのだろうが、腹も心も満ちて眠れば翌朝の目覚めはいつもより爽快だった。
しかし素晴らしい食事を提供してくれた本人は当時、それこそ料理に対してなんの楽しみも見出していなかったし、嬉しそうに食事を頬張る仲間を見ても表情一つ変えることはなかった。まさに、彼にとって料理とは新たに与えられた作業のうちの一つでしかなく、黙々とその作業をこなす後ろ姿を見るとどうにも胸の片隅がちくちくと疼くような思いを抱いたのを覚えている。
そんな感傷の原因となった出来事は既に解決済みで今では思い出すこともほとんどなくなったが、とにかく紆余曲折の後に幼馴染みにもそれなりに料理をすることの楽しさが生まれたらしいということは言っておこう。一年、また一年と歳を重ねていくうちに自分たちが世話をされる側からする側になり、幼い子供たちの賑やかな食卓を眺めて笑顔を見せる。親を知らない自分や他の子供にとって、あの場所は確かに我が家であり、仲間はみな家族だった。穏やかで暖かく、懐かしい思い出だ。
幼馴染みの料理の腕前は変わらず素晴らしいものだったが、それに頼りきりになるのは悔しくもあった。ほぼ無自覚の、しかし胸の奥底に確実に潜んでいる対抗心が、まさか剣の腕前だけでなく料理にまで発揮されるとは我ながら思わなかったが。
なんにせよ、あいつにできることは自分もできるようになりたい、あわよくば越えたいという思いは常にあったのだろう。嫉妬や僻みなどではなく、もっと単純に憧れや尊敬に近い感情だ。すごいと思うから近づきたい。並んでいたい。……できれば上にいきたい。そのためにはどうすればいいか?――自分なりの創意工夫を加えるしかない。そう思った時から、料理というものが自分にとってただの作業ではなくなったのかもしれない。
世相がそれなりに安定していた時期でもあり、比較的生活に余裕があったことも無関係ではなかっただろう。命を繋ぐための手段としてだけではなく、それ以外のもっと――そう、物理的なものではなく精神的な『豊かさ』のようなものを得るために、ほんの僅かな追加の食材と手間を掛けることを厭わず、少しでも美味いものを作ることができないか――そんなことを考えて料理をするようになっていた。そして、その努力は結実した。
先にも言った気がするが、子供というのは正直だ。食事をしている時の表情を見れば、己の工夫が成功だったかそうでなかったのかすぐにわかった。子供たちの笑顔を見ればそれまでの苦労も報われ、頑張った甲斐があったと口元が緩む。その時、ようやく料理をすることの楽しさを理解したような気がした。喜ばれるというのはなんにしても気分のいいものだ。
いつしか子供たちは幼馴染みだけでなく、自分の料理も楽しみに待つようになっていた。自己流の一手間を加えた料理が認められたことを素直に嬉しく思い、少しだけ誇らしい気持ちになる。初めは小さな対抗心からのことだったはずが、その頃にはそういった感情はほとんど持たなくなっていた。料理は剣の腕とは違い、常に幼馴染みを相手にして切磋琢磨するようなことではないとやっと気付いたのかもしれない。
ただ、幼馴染みの料理を全く意識しなくなったわけではないから、相手が何をどうやって作っているのかが気になったりはしていた。しかしそれを聞いたところで幼馴染みはあくまでも『レシピの通りに作っているだけ』だとしか言わないし、それが嘘ではないということもわかっていたからこちらは黙るしかない。天から二物も三物も与えられた人間というのはいるものなのだなと、もはや呆れにも似た感情で幼馴染みの横顔をしげしげと見つめたものだった。
ところが意外と言うべきか、幼馴染みのほうもこちらの料理が気になっていたらしい。味付けだけでなく盛り付けにもいつも完璧な料理の腕前を披露している幼馴染みが、こちらの大雑把な料理の一体何にと思えば『レシピにないことをしようと思うのはどうしてなのか』という、少しばかり驚きの質問が飛んできたのだった。
が、よくよく考えれば驚くことはなかったのだ。剣の修行の時もそうだった、と思い出して納得する。幼馴染みは教本の通りに鍛錬をし、書いてある以外のことをやろうなどと思うことはなかった。その本を譲り受けた相手の影響もあるのだろうが、教本は正しいものでありその通り倣うものであって、内容に異を挟むことなど考えもしなかったのだろう。同じ本で剣を覚えながら、素直に指導に従わない自分とは随分と衝突したものだ。
要するに、同じことが料理についても言えるのだろう。彼はレシピの通りに作ることが最善だと思っているから、そこに何か手を加えようなどとは思ったことがなかったのだ。昔と違い小言が飛んでこないのは、レシピに納得がいかないから勝手に変えているのではなく、純粋な創意工夫の精神であることを理解してくれていたからか?『なぜ言うとおりにやらないのか』ではなく、『なぜそのようなことを思いつくのか』ではだいぶ意味合いが違う。――まあ、それは今はどうでもいい。
とにかくそんなことを訊ねてくるものだから、こちらはごく当たり前の答えを返した。『同じことばかりでは飽きる。それに、楽しい』と。だから、たまには型どおりのことだけではなく自分の思うように、やりたいようにやってみてはどうかと提案した。ほんのちょっとの隠し味で驚くほど味がよくなることもあるし、そんな発見もあるかもしれないぞ、と。
幼馴染みは何やら思案顔をしていたが、最終的にはこの話に乗った。これが剣の話だったらきっと首を横に振ったに違いない。そんなことを試す必要はない、ぐらいのことを言われたかもしれないが、得るものがあるかもしれないと思ったのならそれはレシピ通りでない料理を食べた子供たちが美味さに頬を緩ませる様子を実際に目にしていたからなのだろう。
この時点で、後の惨劇が予想できる筈もない。『ただ』本の通りに作っただけであれだけのものを作るのだから、独自の工夫が加わればもっと美味いものを作ってくれるに違いない――そう思った自分を、誰が否定できただろうか。
幼馴染みの工夫の結果がどうだったか、今となってはもはや語る必要もないだろう。結果的に出来上がった料理はとても人の……いや、およそ生けるもの全てが口にして無事に済むとは思えない代物と成り果てていた。大げさ?そんな言葉を吐いて笑った輩にすら、確認のために食べさせるのをためらうほどだ。とにかく、期待が大きかっただけにその後の子供たちの落胆と怯えっぷりといったらなかった。
しかも悪いことに幼馴染みはこの『一手間』の楽しさに文字通り味をしめ、それ以降何かとレシピに余計な手間を加えるようになってしまった。本人がその味付けを美味いと感じているらしいのが今でも信じられないが、よかれと思ってやっている以上強く咎めてやめさせるのも少しばかり気が引ける。……元凶が自分だという負い目も多少はある、のかもしれない。だがそれ以上に、その時何か自分でもよくわからない感情が生まれたのだ。二度とするな、と言う気にはなれなかった、何かが。
あれが幼馴染みではない他の誰かであったなら、本人の好意はどうあれ惨状を目の前にしたからにはもう二度と余計なことをしないでくれとはっきり言ったかもしれなかった。いや、きっと言っただろう。でも、そこまで言う気にならなかった。それは何故か?
……今なら認めることができる。やはり自分は、料理でまでも幼馴染みに勝てないことを悔しく思っていたのだ。だから、ほんの少しだけ……本当に、ささやかではあるが、意地悪をしたくなったのかもしれない。一つくらい自分が勝てるものがあってもいいだろうと、あえて彼のとんでもない味付けを完全に封印することをしなかった。
なんでもできる、何をやっても勝てない完璧な人間だと思っていた幼馴染みにも『不得手』があった。本人がそうと思っていないのなら、あえて矯正してやる必要もないかと……いや、もちろん被害が出そうな状況には極力至らないように注意はする。あの頃も交代で見張りを立てたりしたが、今でも目が届く範囲であれば気を付けはする。他の皆が残しても、自分は幼馴染みの作った料理を出来る限り完食するように務めた。原因を作った者として最低限、それぐらいの責任は感じないではない。ないが――こうなればもう、直截に言ってしまおう。嬉しかったのだ、単純に。
それは、自分が彼に勝てるものがあったからということだけではない。どんなことでもそつなくこなす彼にも欠点があって、よりによってそれが料理の味付けという意外すぎるものであったことが、なんともいえず彼の人間らしさと言おうか、可愛げとでも言おうか……とにかくそんな部分を見つけることができたのが、嬉しかった。
彼に『完璧』でいてもらうには彼自身の好意や向上心を否定しなければならないし、何より料理に対して前向きになった彼の楽しそうな姿が見られなくなると思うとあまりいい気分ではない。そう思うのはきっと自分だけではないはずで――とにかく、そう、本筋からだいぶ逸れたが、料理をするということを楽しめるようになったのにはこのような経緯があったのだとわかってもらえたならそれでいい。
今でも幼馴染みは時折、胃を破壊しに来たのかと言いたくなるような強烈な料理を作ることがある。
生まれ育った下町を出て様々な人と出会い、仲間として行動を共にしていた時には彼の料理に苦言を呈する者もいたし、時にははっきりとその味付けをやめるように言われていたことさえあったように思う。それでもなお、彼は彼なりの善意でもって創意工夫をすることを諦めない。料理を口にした者の反応に首を傾げ、どうやら不評だったと思うようではあるが、それが逆に次なる工夫への熱意となっているらしい。諦めるどころか、ますます張り切る幼馴染みの背中を胡乱げな眼差しで見つめる周囲のことには全く気付かないのが不思議でならないが。
友として仲間として、あるいは上に立つ者として、相手に喜んでもらえるようにという純粋な好意は失くすべきではない。しかし、だからといって被害の拡大を見過ごすわけにもいかない。今日も今日とて、どうにかして彼を料理の場から引き離すべく奮闘している仲間の様子をため息混じりに見守りつつ、被害を最小限に抑えるにはどうすべきか考えてみる。といっても、手伝うフリをしてさりげなく危険な調味料の使用量を控えさせる程度のことしかできないが。
――さて、そろそろ腰を上げるとしよう。今夜の食卓が天国となるか地獄絵図となるかは、誰にもわかりはしない。そういえば確か、今日は新たに珍しい食材を手に入れたはずだ。初めて扱う食材に慎重になり、とりあえずレシピ通りに作ってくれることを祈るか?望み薄だが、その可能性に賭けよう。もし賭けに負けたら、そのぶん次に自分が少し気合いを入れて腕を振るえばいい。そんなことを考えながら、不安そうな仲間の横を通りすぎる。あまり期待はしてくれるなよ、と心の中で呟くのもいつものことだ。
幼馴染みの隣に立ち、手伝いを申し出る。笑顔で礼を言われるが、必要ないから休んでいてくれと断られてしまった。いつもこうだ。こいつは素直に手伝いを受け入れてくれたことがない。手も口も必要以上に出しているつもりはないが、もしかしたら何かに気付いているのかも――?今日に限ってそんなことを思ったのはなぜだろう。よくわからないまま幼馴染みの横顔をぼんやりと眺めていたら、ちらりとこちらを見た幼馴染みが少し困ったように眉を下げた。本当に大丈夫だからともう一度言われてしまってはおとなしく引き下がるしかない。去り際に振り返って見た時、幼馴染みは気合いも新たに腕まくりをしているところだった。
ああ、すまないみんな。今日は覚悟しておいてくれ。