まずはちょっと振り返ってみようか、のお話。
どうも。わたしです。
昨日は冷たいこと言ってごめんなさい←いきなりのでれから始める
ひっさしぶりにブログを書くので、どうしていいかわかんなかったの←
でも今日ね、あるおともだちのブログ見て…ブログって色んな方に見てもらうもんなんだなぁーって思い直しました。すみませんの世界←
(今日ずっとVSを見続けてた余波)
最近Twitter鍵アカなんですよ(知らない)
だから自己満に引きこもることに慣れちゃって…(知らない)
…だからね。思い直した記念に、どっかでぶちまけようと思って。このブログ←危険
勿論……ぶちまけるなら裏アカにだけど←相変わらずの引きこもり思考
まぁ、Twitterのどなたかが今この記事見てたら…あ、こいつ予告通りぶちまけたんだな、と思ってやってください。はい。
ちなみに過去記事は今のわたしのイメージとかけ離れているので、2014年の記事だけ見て理解頂けると有難き幸せ。病んでるから。浪人期は(今もだろ)
じゃなくて!
今日から本題に入ってみようってことで、今日来たんですよ。わたし。
どうやって始めるか、すっげぇ悩んだんだけど…ちょっとここまでのおさらいしてからにしようか。わたし、空白の3か月存在するから。このブログでも。
えっと。まずね。わたしかれこれ2年間受験生してたよってお話。
一年目は現役。地元。
場違いの田舎の高校からひとりだけイレギュラーな、それなりに偏差値高い国際学部がある私立大学目指す。
違う学部なら推薦あるよって言われたのに、その学部じゃないと意味無いって言って断る。
色々あって先生方が信じられず、ほぼひとりで勉強し続ける。
結果、希望学部全落ち。最悪の状況のまま卒業式。
…ここまではきっと昔も書いてた気がする。
二年目、浪人。地元の近くの、このブログで言うある地域で母と二人暮らし。
某有名進学塾で浪人。(詳しくはこのブログの過去記事をちぇけら☆)
…何だかんだ言って、かなり勉強してたな、自分。←久しぶりに読んだ感想
ここからが空白の3か月のお話。
まずはセンター英語で大失敗し、センター利用が使えない。
チューターにもっと安全校を増やすべきだと忠告されたが、第一志望しか見えてなかったので滑り止めを受けない。
色々厳しい状況の中、ある地域、そして東京で受験するもまたしても希望学部全落ち。
第一志望の不合格結果見た後、現役の第一志望に受験に行って、勿論ダメで、メンタルぼろぼろだったり。
浪人の時の蓄積もあり、ストレス性胃腸炎と頭痛と原因不明の情緒不安定を抱えるようになる。
(人間と関わらない環境にいたのもあり、若干の対人恐怖症にも時々なる。)
全部の合否が出た後、もう今度こそは死んで償うしか方法がないと思う。
母と父が電話越しにもめてるのを見て、さらに辛くなる。病む。
毎日泣く。泣く。泣く。お腹痛い。吐く。そんなんばっかり。
どうしたらいいのか分からない時、母が懸命に3月に入試があるところを調べてくれて、お願いだから悪いことは考えないでと泣きながら説得される。
そして一か八かをかけて受けた3月の狭き門に奇跡的に合格して入学したのが今の大学。
合格した3月中旬父が納得しないまま、ドタバタで引っ越し。東京生活スタート。
…ヘビーだね。すっげぇ、重たいね。
だーっと箇条書きにしてるだけで、色々フラッシュバックして今でも辛い。
ここまで向き合えるのに…2年かかってる。
この全貌を余すことなく話したことって一回もない。これからも出来れば言いたくない。
書いてるだけでコンプレックスとか悔しい気持ちとか…整理できなくなるもん。
でも人間の脳って不思議なもので、人生で一番辛かったこの時期のインパクトが強すぎるせいか、それなりに辛かった浪人時代のことってあんまり覚えてないんだよね。
だからこのブログは有難かった。こんなことしてたんだなーって思い出せた。
あれだけ辛かったのにここまで消せなかったのは…多分あの一年に相当な思い入れ、てか怨念に近いものがあったからだよね。
でももしかしたら、この後の展開のために取っとかれるべきだったのかも。
自分が長い時間と労力を費やして、必死に努力してきたことが報われなかったのは勿論辛かったんだけど…とにかくさ、ずっと母と二人っきりっていうシチュエーションが辛かった。
母がさ、せっかく頑張ってずうっと支えてくれたのに、どうしてわたしはこんなにダメなんだろう。こんなに良い両親にはわたしなんかより、もっと出来のいい子が生まれてくればよかったのにって毎日思ってました。
母も、いや母の方がどうしていいか分かんなかったと思うし。
絶望的で死にそうなわたしと二浪するように説得しろって言ってたらしい父の板挟みになってて。
後から聞いた話だと、本当は地元帰って父と話したかったらしいんだけど、わたし一人にしたら絶対この子死んじゃうなって思ってらしいです。
だからどうにかしてこの子をまずは東京に連れて行ってあげなくちゃって…凄いよね。
母がいなかったら、一緒に住んでなかったら、あのころのわたしは確実に死んでた。
そういった意味で母は私の恩人だし、体の一部でもある気がする。
感謝してもしつくせません。勿論、ここでは悪者みたいに書かれている父ともこのあと色々あるんで大丈夫です。仲良いです。←
そんな思い出がいっぱいの二月の後半から三月の前半はわたしにとって辛い思い出の時期なのです。
去年はアメリカにいたんだけど、今年はどこにも行けないので…どうなるかなって感じ。
でも去年と置かれている環境が全く違うからな…こうやって、自分の過去とちゃんと向き合えてるしね。
そんなこんなで空白の3か月間、これで埋められたかな?
次回は今の大学について。話してみようかな。
…ってか、こんな暗い記事誰が読むんだろう(笑)
今の段階でTwitterにリンク貼る勇気無くなってきましたorz
では、また。
今回…我ながらいいタイトルつけたなって思う。
Endless Game、だいすきです。背筋がしゅっとする。