『一日目・書類整理…?』
「ユーリ」
…フレンが呼んでる。
「ユーリ、そろそろ起きなよ」
「………」
「ご主人様より寝坊のメイドさんっていうのは問題なんじゃないかな」
「誰が誰のご主人様だ!!!」
…あー…身体中、痛ぇ…
「誰が、って…。僕が、君の、に決まってるだろ」
涼しい顔でオレを見下ろして言うフレンは、すでに見慣れた甲冑姿に着替えている。
オレはというと…まだ素っ裸、だ。
今日から一週間、オレはフレンの仕事の手伝いをしなけりゃならない。メイドの格好で。冗談だったら良かったんだがな、どうやらマジらしいんだこれが。
昨日はとりあえず説明だけ、って事らしかったが、それすらオレは知らされてなかった。またその説明ってのが細かいんだか大雑把なんだか…まだよく分からない事も多い。
まあその辺りは仕事しながら確認するとして、今回オレがこんな事をするハメになる依頼をしたヨーデルは、フレンの『使用人』に対する対応にも一つ条件を付けた。
それが、『使用人』には一切、手を触れるな、ってやつだった。
この場合の使用人っていうのは、当然オレの事だ。
ヨーデルがオレの身を案じて…というより、フレンに対する嫌がらせというか、何というか。そういう意味合いのほうが強いような気がする。
大体、オレの心配するならこんな事やらせないだろ。
で、まあ…仏心を出しちまったんだな、オレは。
昨日のうちに好きなだけ触れとは言ったが、触るだけで済む筈もない。結局、気が付けばフレンのベッドに寝かされていて、フレン本人はソファに寝たらしい。
…あのソファ、寝室じゃなくて隣の部屋にあった気がするんだが…。一人で引っ張って来たのか?…まさかな。深く考えるのはよそう。
それにしても怠い。
仕事どころか起きるのも億劫だ。
「…ユーリ、いつまでそうしてるつもりなんだ?」
「誰のせいだと思ってんだ。仕事に支障が出そうだよ、ったく…」
「それは悪かったね。でも今日は書類整理ぐらいだから、大丈夫だろ。僕は隣で準備してるから、早く着替えて来てくれ」
フレンが部屋を出て行ってから、オレは思い切り息を吐いてベッドに突っ伏した。
着替え、か…。
視界の端に綺麗に畳まれたメイド服が映って、オレはまた大きな溜め息を吐いていた。
「…仕事を始めるのはいいが、朝メシもなし?」
着替えてフレンの前にやって来たオレだったが、まさかフレンだって食事もしないで一日中働いてる訳じゃないだろう。普段どうしてるのか知らないが、今この部屋には何も用意されてないし、誰かが運んで来るんだろうか。
…ん?誰か…って、まさか…
「それこそ、普段は使用人の誰かが持って来てくれるんだけど」
「…持って来いってんなら持って来てやるが、オレが城の中をウロついて大丈夫なんだな?」
「大丈夫なんじゃないか、あまり目立たなければ…って、無理かな」
「…………」
どうしろと。
目立つ、の意味をどう取ればいいのか悩むところだが、デカくて見慣れない奴がいる、ぐらいには思われるかもしれない。
だが、仕事の中には食事の世話とか身の回りの世話とかいうのもあった。そんなの、部屋に篭りっぱなしで出来る筈もない。
「ってか、今度こそ知り合いに会ったらどうすりゃいいんだよ…」
「大丈夫だよ、この前だって何だかんだでバレなかったんだし」
「おまえ、完全に他人事だと思ってるだろ。答えに全く誠意が感じられねえぞ」
「誠意?それは僕じゃなくて、ユーリが僕に示すものだろう?」
またしても『三ヶ月放ったらかしたくせに』とか言い出したフレンを無視しつつ、どうしたもんかと考える。
だが、普段は誰かが持って来るのにそれがないって事は、オレがやれって事なんだろうとしか思えないし、服と刀も取り戻しておきたい。
…行くしかないんだろうなあ、やっぱり。
「しょうがねえな…。食堂行って何か見繕って来るか」
「じゃあ、僕はその間に少しでも仕事を進めておくかな」
「全部やってくれても構わねえぞ」
「冗談。君の分の作業はちゃんと残しておいてあげるよ」
「……もうオレの名前なんか書くなよ」
それには答えず、笑顔で行ってらっしゃいと言うフレンに見送られて、オレはとりあえず食堂に向かう事にした。
…見送るのと見送られるの、逆じゃないか?
なるべく人目に付かないようにと思うものの、城内の廊下というのはあまり遮蔽物がない。昨日も言ったと思うが、こそこそしてるほうが逆に目立つ。
正体のほうはともかく、なんか言われたらヨーデルかフレンの名前、出してやる。それぐらいしたってバチは当たんねえだろ。
途中で何人かとすれ違いはしたが、適当にやり過ごした。
食堂にやって来て、辺りを見回してみる。誰もいないのは今がちょうど朝食と昼食の間で、大体の城の奴は職務中だからなんだろう。
とは言え、別に出入り自体は自由だ。誰か来ないうちに用事を済ますべく厨房に向かうが、中は綺麗に片付けてあった。
昼食の仕込みはしてあるみたいだが、それを拝借するのは気が引ける。
…となると、使えそうなもので適当に食事を用意して、片付けまでして帰らなきゃならねえのか?それってメイドのやる事じゃねえよな。
「ああもう、面倒臭えな…!!」
とにかくさっさと終わらすしかない。
もういっぺん、ちゃんと仕事の内容を確認しないとえらい事になりそうだと思いつつ、オレは腕捲りして料理に取り掛かった。
そうして出来上がった料理を乗せたワゴンを押してフレンの部屋に戻る途中でソディアに出会った。昨日は結局、いきなり追い出されたっきりだったな。
オレの姿を認めると盛大に眉を顰める。…何だよこの反応。オレ、ちゃんと仕事してるよな。
「…何をしているんですか」
「何って、見りゃ分かんだろ。メシの準備して来たんだけど」
顎でワゴンを指すと、ソディアは呆れたように溜め息を吐いた。
「何なんだ、その態度…これも仕事なんだろ?」
「あなたが作る必要はありません。団長のぶんのお食事は、きちんと用意されていました」
「…そうなのか?」
「ええ。いつまで経っても取りに来ないので、様子を見に来たんです」
聞けば、フレンはいつももっと早くに起きて朝食を摂るらしい。確かに今はその時間よりはだいぶ遅いが、だったら最初に言っとけってんだよ。
「明日からはきちんと取りに来て下さい」
「へいへい。ま、オレとしてもそっちのほうが助かるしな」
「…………」
「どうした?」
「…嫌がってた割に、随分と献身的ですね。まさか手料理とは…」
「…しなくていいならそれにこした事はねえんだけど」
「はっ、どうだか」
「…………」
…何だかな。あからさまな敵愾心ってよりは半分ヤケになってるような気もするが。そんなに嫌なら反対すりゃいいのに。…無理か、あの腹黒陛下が相手じゃ。
「とにかく、いちいちあなたが食事を作らなくて結構です」
「………だったら予定表っつうか、あいつのタイムスケジュールみたいなのはねえのかよ。オレだって困ってんだぜ、細かい事は何も分からねえし」
「昨日、あの後説明するつもりだったんです!!それが、その……!」
ソディアが顔を赤くして俯く。
…何を想像したのか、考えたくもねえな…。
それ以上会話するのも面倒だったのでさっさと切り上げ、今日の予定を確認する。明日からは毎朝、朝食を取りに来る時に確認しろ、だとさ。ついでにオレの服と刀の話をすると、こっちは後で届けてくれるらしい。ま、ひと安心ってところか。
勤務時間とやらも聞いたし、さっさと戻っ……
「ひとつ、お聞きしたいんですが」
「何だよ」
「…今日はどちらから来られたんですか」
「は?あの後フレンの部屋に泊まってそのまま…」
「ななな何ですって!!?」
「うおっ!?」
「……ふ、ふふ。さすが…堂々としたものですね……」
…こいつの事は、誰が『正気』に戻してやるんだろうな…。
すると俯いていたソディアが勢い良く顔を上げ、オレを睨みつけて言い放った。
「それで勝ったと思うなよ、ユーリ・ローウェル!!!」
「…頼むから、デカい声でフルネームを言わないでくれるか」
勝ったも何も…。
それより、もしかしてこいつ、ヨーデルの手紙の内容までは知らないのか?
「仕方ねえだろ、そういう指示なんだから」
「嘘をつくな!!」
「そう思うんなら天然陛下に確認しろよ!オレは通いでも構わねえんだけど」
「はっ、どうだか」
「…………………」
今度こそ面倒臭くなって、オレはその場を後にしてフレンの部屋へと戻ったのだった。
「……ってわけでさ、もう勘弁しろって話だよ」
「なんだ、残念だな。しばらく君の手料理が食べられると思ってたのに」
「ふざけんな。マジでそんなの、メイドの仕事じゃねえよ。つか、おまえ気付いてただろ」
「メイドの前に恋人だろう?だったらいいじゃないか」
「…あのなぁ…」
遅めの朝食兼昼食を食べながら、オレはソディアに聞いた事をフレンに話していた。戻るのに少々時間を食ったせいで、フレンは既に今日の書類仕事の半分程を終えていた。
自分のぶんは、だが。
オレは判を押すだけでいいらしいが、それはしっかり残してある。
「やらなくていい事までやってやったんだから、そっちも片付けといてくれりゃいいじゃねえか」
「それこそ君の『仕事』だろ。半分は君のせいなんだから」
「おまえが言うんじゃねえよ!…また上乗せだな、報酬」
「たった一回ぶんの食事で?いつの間にか、随分とお金に汚いギルドになったんだね、君のところは」
「………やっぱいいわ」
「そう?じゃあこれは寝坊した代わりという事で受け取っておこうかな」
「それこそ半分おまえのせいだろ!?」
嫌になるほどきらきらした笑顔を向けられて、もう文句を言うのもやめた。
どうも最近、口でもこいつに勝てなくなってる気がする…。
メシを食ってからは、ひたすら書類仕事だった。
時々休憩はするが、こういう事務仕事みたいなのはつくづくオレの性に合ってないな。先にフレンがサインを済ませた書類にオレが判を押す間にも、フレンは次々と新しい書類の処理を終えていく。あれでしっかり内容は頭に入ってるんだろうし、その辺り本当に優秀な奴だとは思う。
オレはと言えば、初めこそ内容にも目を通してみたものの、案件の前後関係が全く分からない為に意味が理解できないものばかりだったのですぐに興味をなくした。
言っとくが、『内容が』理解出来なかった訳じゃないからな。
「……ふぁ」
噛み殺しきれず欠伸が漏れる。当然フレンはそれに気付き、呆れたような眼差しをオレに向けた。
「…職務怠慢なんじゃないか」
「そりゃおまえだろ。つまんねえ内容ばっかなんだ、仕方ねえだろうが」
するとフレンが書類の山から一枚抜き出し、オレに渡した。
「それの内容なら興味湧かないか?」
「あん?………」
それは、ある法律を改正、または新たに制定する為の草案のようなものだった。
オレは、無言で判を押すとそれを処理済みの山に無造作に重ねた。
「ユーリ?」
「仮に『それ』が通ったとしても、オレには関係ない」
「……そう?僕には関係あるんだけどな」
「なん…」
「少しぐらい、希望を持ってもいいだろう?」
そう言って立ち上がったフレンはオレの横に来ると両手を腰にやって、見上げるオレに素早くキスをした。
驚いて突き飛ばすと、おどけたように手を上げる。
「ちょっ…何してんだてめえ!触んなって書いてあっただろ!?」
「触ってないよ。…『手』は、ね」
「ふっ……ざけんな!!」
こんな危険な奴に、法律に関する事を任せていいものやら、甚だ不安になって来る。
さっきの書類も…きっと、無理矢理通すに違いない。
オレがそれを受けるかどうかは全く別だってのに、馬鹿な話だ。
まあ、それが通って喜ぶ奴は他にもいるんだろうが…。
内容?
同性婚を認める為の改正案だとさ。
……関係ないよ、オレには。
フレンは笑ってるが、オレはどうにもすっきりしなかった。
ーーーーー
続く